PandoraPartyProject

幕間

ストーリーの一部のみを抽出して表示しています。

廻の夢

関連キャラクター:燈堂 廻

シーズンテーマノベル『それは愛しく、あたたかな』
「こっちにおいで」
 呼ぶ声がしてから顔を上げた。まだ眠っていたいのに、声の主はどうやら許してはくれないらしい。
 仰向きに寝ていた廻はゆっくりと体を起こす。それと同時に急激な寒さを感じて脚を引っ込めた事でシーツが波打った。
「ひ」と声を漏せば楽しげに声音が跳ねる。ああ、なんて悪戯だ。酷い事をするものだ。唇を尖らせてから「寒い!」とクレームを申しつければ声の主は笑うのだ。
「廻」
 その声音は臓腑の奥の深くにまで染み渡る。じんと胸の奥にまで染み渡ってから、そうして生きているという感覚を取り戻せるのだ。
「暖かくして、寝ていたのに」
「それだとずっと眠ったままだろう? だから、起きて欲しいんだ。ほら、廻」
 無骨な手だ。刀を握る人の掌だ。それが廻は好きだった。伸ばされたそれに頬を寄せる。心地良い体温は遠離り、ひんやりと氷を押し当てたようだった。
「ちべたい」
「そりゃあ、そうだろうね」
 破顔するその人が可笑しそうに笑う声が好きだった。リズミカルに鍵盤を押し込んだように笑声は弾んで、蕩けて行く。
「暖かい?」
「勿論」
 掌が頬を撫でてからやわやわと耳朶を撫でた。本当は擽ったいけれど、それでも構わないと瞼を閉じる。眠ってなんか居ないのだ、ただ、少しだけでも体温を分けてやりたかっただけ。
 きっと、室内でこんなやりとりをして居ると、あの人も困った顔でやってくる。
「何してんの」
 ――ほうらね。

 こんな夢を見た。
 雪だるまの頭がごろりと転がり落ちる。その傍で、何度も乗せ直す明煌の姿があるのだ。どうにも乗り心地が悪いと逃げ出してしまう頭は転がり落ちる度にその姿を変容してしまう。
 輪郭線はふくよかなまろい頬であっただろうに、平面になって削ぎ落とされた痩せぎすの雪だるまになっていた。
「作り直せばいいのに」
 思わずぼやいた廻に「何て?」と何処か拗ねたように、低く応える声がする。マフラーに埋もれてくぐもった声音は廻の耳にまでは届きにくい。
「体もきちんと丸くして、もっと立派な雪だるまにしたら……ああ、そうだ。一緒に作り直、ぶっ」
 ぱあと華やぐ廻に対して、投げ入れられたのは雪玉だった。固めているわけでは無い粉雪ははらはらと散りながらも青年のかんばせへと届けられる。
 突然の衝撃に思わず眉を顰めれば「クリーンヒット」と明煌が笑った。爛々と笑う鬼灯の色味を宿した眸は、笑う度にぱんと弾けたように瞼の奥に消えるのだ。
 そうして屈託無く笑う顔を見ればどっちが子供なんだようと廻もぶつくさと文句を言いたくなる頃だった。雪だるまを作ると言いだしたのは彼で、この何ともバランスの悪いスタイルの雪だるまを用意したのだって彼だった。
 雪だるまが作られたならば目のかわりにクコの実を用意した。鼻は定番の人参で嵌めておけば良いだろうか。口は拾った枝で何とかなるはずだ。
 どうしてもマフラーを巻いてやりたいと言うからにはそれなりの大きさの雪だるまにしなくてはならない。明煌が苦戦しているのは『マフラーを巻いてやれる雪だるま』作りなのだ。
「首の所に綺麗な窪みがないとマフラーを巻いても綺麗にならへんやろ?」
「どうして巻きたいの?」
「……なんとなく」
 嘘っぱちだと廻は唇を尖らせた。眉を寄せてから困った顔をしてやれば彼は観念したように両手を挙げてから「暁月が作ってくれたマフラー」と唇を尖らせるのだ。
 試作品で作ったマフラーは明煌が付けるには短すぎて。廻にはぴったりだったのだろうけれど、明煌は「廻にはあげへん」などと子供染みた独占欲(いじわる)をするのだ。
「いいよ」と暁月が笑ったのは、雪だるまに付けるという『理由』があったからなのだろう。
「じゃあ、頑張って作らないと暁月さんに嘘を吐いたことになっちゃう」
「それは困るなあ」
 明煌はもう一度ごろごろと首を転がし始めた。やたらめったら同じ場所を右往左往とするせいで、明煌の靴底だらけになってしまった雪は踏み固められていてそれ程柔らかくは無い。
 こっそりと雪玉を作り始めた廻の方がきっと雪だるまを作ることは得意なのだ。それも希望ヶ浜学園で『掃除屋』として活動してきた経歴や、燈堂の屋敷で皆と過ごした思い出による『経験値』の差なのだ。コツがあると聞いた事があった。見る見るうちに大きくなっていく雪玉は、蜘蛛が糸を丸めて珠を作るようで何処か愉快だった。
「大きいやん」
「でしょう?」
「うわ、誇らしげ」
 嫌だと顔面に貼り付けた明煌に廻はからからと笑った。まあるい眼を縁取った瞼に雪が付いていることに気付いてから明煌が手を伸ばす。
「雪、目ェ入るよ」
「ん、ええと」
「とったるからじいっとし」
 そっと指先が眦の傍にやってくる。ぎゅうと閉じかけた瞼に少しだけ良い子にして居てと声を掛けて、ゆっくりと雪が取払われる瞬間までを待っていた。
「とれた」と声がしてから顔を上げれば程近い位置で明煌が笑っている。肩に乗せられた掌は暁月と同じで大きくて、無骨ではあったけれど、矢張り違う物なのだと廻は思った。
「明煌さん」
「ん?」
「寒いから、暁月さんには諦めたって言おう」
「……いや」
 首を振った明煌に「風邪引いちゃう」と廻は告げた。困った顔をしてやれば彼は観念してくれるのだ。ほうら、やっぱり『ずるい』と言いたげに唇を尖らせる。
 雪だるまになりかけてしまった大玉を置き去りにざくり、ざくりと雪を踏む。部屋は火鉢で温めてくれているだろう。どうせなら現代の文明の利器に頼ってクーラーで室内を鬱陶しいくらい暖かくしていてくれても良い。そんなことを考えて雪を踏んだとき、何かが爪先にかつりと当たった。
「ん?」
「なんか踏んだ?」
「何か蹴った……かも……」
「まあ、雪に埋もれてるだけ。気にしなくてええでしょ」
 何も気にする事の無い明煌はさも興味もなさげに、鬼灯色の瞳を揺らがせた。積もった雪を踏み締めて、『ならす』ように道を作る。
 その背中を追いかけながら、廻は一歩二歩と数えた。何歩歩いたかは分からないが雪の感覚は全てを遠ざけてしまうようだ。何とも立っているような気もせずに、時間の感覚も肉体の感覚もどこへやら置いてきてしまったような素振りで廻は困り切った顔した。
「廻?」
「もうすぐ春が来るんですよね」
「そりゃあ、そうやろうね」
 明煌の何を言って居るのだと問うような顔に廻は「ふふ」と笑った。トランポリンの上を跳ね回るように落ちてくる雪は何の感触も残さない。
「ほら、風邪引くんちゃうかったん」
「そうだった」
 差し伸べられた手をぎゅうと握り締めてから「暖かいなあ」と笑った。雪ばかりを触っていた指先は真っ赤に染まり、少しひりついた気配がする。それでも、痛みは無い。
 凍て付く風から遁れるように室内に滑り込んで外套を放り投げる。水分を含んだそれが廊下に散らばれば、見た者は余り良い顔はしないだろうか。
 廊下がぎいぎいと音を立てて悲鳴を上げている。置き去りに何てしてくれるなと文句でも言っているのだろう。今日だけは許していてと願うようにブランケットに包まってから廻は息を吐き出した。
「ねえ、明煌さん」
「ん?」
「来年こそ、雪だるま作ろう」
「……そうやなあ」
 同じようにブランケットに包まっていた明煌は指先を擦り合わせながら「まあ、それでもええか」とそう言った。

 こんな夢を見た。
 雪遊びをする夢だ。まるで幼子のやわやわとした掌のように柔らかく、まろい夢だ。
 大切な約束をしたのだと廻は笑ってから「暁月さんを呼んでくる」と立ち上がった。襖を開けて、廊下を走り出してから、どうにも足が重たい。
 ああ、なんだったか。何かを約束したのだけれど。
 ぎいぎいと悲鳴を上げる廊下を踏み締めてからぱたりと足を止める。
 何か約束をして居た気がするけれど、忘れてしまったなあ。
 何だったかなと首を傾いでから、またも楽しい夢に逆戻り。
 さあさあ、次は何をしようか。
「廻」
 ――彼の呼ぶ声がした。
執筆:夏あかね

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