幕間
レーヴェ・ブランクという男
レーヴェ・ブランクという男
関連キャラクター:レーヴェ・ブランク
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- ムース・エルクホーン。或いは、ある男の話…。
- ●ムース・エルクホーンはかく語る
レーヴェ・ブランクについて?
あぁ、黒い髪に傷だらけの身体をした偉丈夫だろう? 私はヘラジカの獣種だからね、体格には自信があったんだが……そりゃ背は私の方がでかいけどさ、あいつの纏う雰囲気は、あいつの体躯をひと際大きく見せる類のそれだったよ。
出会ったのは砂漠の真ん中。
仕入れの途中で鮫に襲われて遭難してたところを拾ってやったのさ。
何でも商会の部下を全員逃がして、レーヴェの奴は単身で鮫と戦ったって話だったよ。まったく、そんなことを繰り返して来たんなら傷だらけなのも納得だ。
ちょうどその頃、うちの集落は滅亡の危機に瀕していてね。あぁ、盗賊だよ。盗賊が攻めて来るって言うんで、錆びた剣や鉄の棒を搔き集めて、徹底的に抵抗しようとしてたんだ。
でも、残念ながら盗賊の方が数も多くて、装備も良かった。
私はレーヴェに、盗賊が来ないうちにさっさと逃げ出しな、って言ったのさ。でもレーヴェは逃げなかったんだ。一緒に盗賊と一戦交えてくれるなんて言い出しやがった。
何でもレーヴェ1人では、砂漠を旅して近くの都市まで辿り着ける気がしない……ってことらしい。だから私らを道案内として雇いたいと言い出しやがった。
そのためには盗賊が邪魔だから、撃退するのに手を貸してくれるんだってさ。
まったく、あの時は腹を抱えて笑ったもんだ。
初対面の私たちと、こんなところで死ぬつもりか……ってね。
あぁ、でも……でも、あいつは笑ってなかった。
レーヴェの目は本気だったよ。
俺が1人で10人分の働きをすれば、盗賊程度は撃退できる。
当たり前みたいな顔をして、そんなことを言うあいつを見て、私たちは腹を決めたね。元々は、集落と一緒に、誇りを胸に死ぬつもりだったんだけど、生きてやろうって思ったよ。
ん? 結果はどうなったのかって?
おいおい、お前さんの目は節穴か?
私が生きてここにいて、美味い酒を飲んでいるのが“結果”って奴じゃないのかい?
_______砂漠の駆け出し商人、ムース・エルクホーン
- 執筆:病み月
- 『交渉人』クルト・バルリングからの聴取
- ●某所、深夜
その青年は、夜更けにようやくバーへ姿を現した。
紺のスーツの似合わない、ブルーブラッドの青年。
白銀の髪、緑の目。
ネコ科を思わせるしなやかな体躯だが、顔には大きな傷があり、手袋でも隠しきれない入れ墨が服の隙間から覗いている。名乗るまでもない、元アウトローだ。
歳の頃はまだ20歳手前といったところか。
「いつもの」
マスターにそう告げてカウンターに座った青年は、訝しげにこちらへ視線をやった。
「見ねえ顔だなァ、アンタ」
勘の良さは、さすがあのレーヴェ・ブランクの手足と言ったところだろう。
「この店は初めて来たんです。仕事で、近場まで来たので」
そうにこやかに挨拶を返すと、青年は眉根を寄せた。
「仕事で……ナメてんのか?」
椅子を蹴り倒し、青年は牙をむく。
「勿体つけてんじゃねェよ。腹に一物あって最初から俺を待ってたってツラじゃねェか」
「これは手厳しい。さすがブランク貿易だ」
「御託はいい」
青年はこちらの腹部へ、ぴたりと銃口を突きつけた。
「会長に楯突く気なら容赦はしねェ。ーーアンタ、ブランク貿易に何の用だ?」
見事な威嚇だ。仮にここから仕事の交渉に入ったとしても、事前にこれだけの威圧が効いていれば商談は有利に進むに違いない。
「見事な教育だ。素晴らしい。……ところで、君にご挨拶したいんだがね。名刺を取り出しても?」
青年はチッと舌打ちした。
「妙な動きしたらぶっ放す」
「それは結構」
上着から名刺入れを取り出し、彼にすっと手渡す。
「初めまして。私は『ヨアヒム商会』のルットマンだ」
「『ヨアヒム商会』だと?」
「君の名刺は結構。ブランク貿易の『交渉人』……。クルト・バルリングくんだね」
名を呼ばれ、青年は苦々しげに中折れ帽を目深に被り直した。
交渉人ーー。つまり、「やむを得ず」「致し方ない理由で」「どうしても」武力が必要だと「判断せざるを得ない」状況に陥った際、前線へ斬り込み紛争を調停する存在だ。
文字通り、絶対的な暴力を武器にして、悪徳商人たちを正面から叩きのめす。
物事の主導権を握るためには時として武力行使も避けられないーー、というのは、バリバリの武闘派であるレーヴェ自身の言葉だ。
「……そこまで知ってて接触してきたのか。面白くねぇな」
クルトは警戒心を剥き出しにしてルットマンを睨んだ。
「あんた、誰から俺のことを聞いた?」
「私は『ヨアヒム商会』の人間だ。それ以上の説明は野暮だろう。どうしても知りたいのなら商売人らしく対価を支払うのが礼儀だ」
クルトは舌打ちし、足先を倒れた椅子に引っ掛けた。軽く蹴り上げて、器用に元の場所へ椅子を戻す。
「……で、用件は?」
憮然とした様子のクルトに、ルットマンは深く笑ってみせた。
「なに、簡単な話だ。我々『ヨアヒム商会』は、『ブランク貿易』と友好的に商売を進めていきたい。だがそれに当たって、我らがヨアヒム会長は、レーヴェ・ブランクという男がどのような人物なのか知りたがっているんだよ」
「商才だけじゃ不足だと?」
「なにせ君らのボスは……少々変わり種だ。商売人、というより渡世人のような男だろう。それに、君たちのような存在は、裏で糸を引くことこそあれ、表立って商売の世界へ入ってくるなど聞いたことがない。なのに君たちは、堂々と看板を掲げて、貿易をしている。品も教養もない人間が、国境をまたぎ、貿易をしている。それも、手っ取り早く薬物や女や子どもを売るのではなく、実に、まっとうにだ」
挑発するような物言いに、ガルガルと、低い唸り声がクルトの喉から漏れた。
「時間を無駄にする商売人だな。何が言いてェ」
唸りはすれども飛びかからない冷静さを保つクルトを見て、ルットマンはまた笑みを深くした。
「まず先に非礼を詫びよう。ブランク貿易の交渉人。数々の無礼な発言、申し訳ない」
ルットマンは深く頭を下げる。クルトはその姿を見て、一度警戒を解いた。
「……ヨアヒム会長は、ブランク氏にひどく興味を惹かれておいでだ。君らの教育にしてもそうだが、ブランク氏は一言で『元アウトロー』と括るにはあまりに惜しい。貿易は難しい仕事だ。教養、商才、愛嬌。あらゆる才能の上に成り立つビジネスだ。だがブランク氏は、君らという圧倒的ハンデを強みへ昇華させ、引き連れてやってのけた」
「ハンデ……。アンタまだ喧嘩売ってんのか?」
クルトは顔をしかめる。
「失敬。だが、君がそうしてスーツを着ていることも、金品目当ての強奪のため以外に銃口を向けて交渉を覚えたことも、すべて、ブランク氏の上げた目覚ましい成果には違いないだろう」
思い当たる節があるのか、クルトはじっと黙った。
「……で。結局何を望んでる。アンタがラサの本拠地じゃなくて、こんな辺鄙なバーにまで顔だした理由は何だ」
「初めに無礼を詫びるが、君は戦闘に秀でるがその後の交渉はあまり得意ではないと聞いてね」
「やっぱぶっ飛ばしていいか」
「君の言葉からなら、飾らぬままのブランク氏の姿が見えるんじゃないかと期待しているんだ」
「……俺がそれを語って、会長に何のメリットがある」
「ことと次第によっては、大きな仕事が舞い込むかも知れない」
「『かも知れない』?」
クルトは片眉を上げた。
「そんな話をするわけには行かねえな。情報ってのは安くねぇ」
「君の望みは?」
「『ヨアヒム商会』が押さえてる名酒……『琥珀水』の取引に、噛ませてもらいたい」
「……なるほど」
思わず、笑いが溢れた。
「……それはブランク氏のご意向だね」
「さぁな」
「魅惑的な提案だ。……ここだけの話、こっちとしてもこれ以上『琥珀水』に関わると赤字を叩きそうでね。撤退すべきか、他社に利権を売るべきか迷っていた。ブランク氏の話と引き換えなら、いい取引だ」
目を細めて、クルトを見据える。
「君も人が悪い。ブランク氏はこっちの事情を、とっくの昔に知っていたというわけだ」
「さぁな。たまたま酒が飲みたくなっただけかもしれねぇだろ」
クルトは、ゆったりと椅子に座り直した。
「だが会長はこうも言ってたな。『新規事業は何かと苦労が多いだろう。何か助言をしてやれればな』って。……で、返事は?」
「私の一存で答えが出せる。イエスだ」
さて、と両手を来んで見据えると、クルトは帽子をカウンターに置き、頬杖をついてこちらを眺めた。
「取引は成立した。誓約書はあとで貰いに行くし、アンタがばっくれても、この店のオーナーが第三者として証人になる」
「用心深いことだね……では、前口上は十分だろう」
バーのマスターが、『琥珀水』をロックで差し出してくる。皮肉のつもりなのか、気を利かせたのか。
唇を湿らせてから、クルトを眺め、先を促した。
「レーヴェ・ブランクという男について、聞かせてくれ」
●数年前、某所
約束は約束だが、あくまで俺の主観の物語だ。
メモはとるな。
合いの手も、質問もナシだ。
で……会長の話か。
俺は見ての通りチンピラ上がりだからな。あの人のことが嫌いだった。
なんなら反発するグループの出身だ。
何遍もあの人を殺す気で襲って、めちゃくちゃに返り討ちにあった。
トシだって10近く離れてる。俺をぶちのめすのなんて、あの人にとっちゃ朝飯前だったろ。
俺は負けたのが悔しくて、バカみてぇに何度も何度も挑みかかった。
汚い手も使った。やれるだけのことは全部やって、それでも……届かなかった。
純粋な実力差もある。その上、あのえげつねェ直感能力だ。
アンタあの人の商才を買ってるが、多分それも、あの直感力のせいだろうさ。
この取引が有利になるか、不利になるか。
今動くべきか、否か。
何の情報もねえ未来を、一瞬で判断できちまう時がある。
ただのクソガキが、勝てるわけねぇ。
けど俺は、屈服できなかった。
「負けた、アンタの腕前に惚れ込んだ。部下にしてくれ」
なんて、かっこ悪くて言えるわけねェ。第一、負け犬じみて胸糞悪ィ。
俺は何年も、あの人に挑んで、勝つために、牙を磨いた。磨き続けた。
いる組織の中じゃ誰にも負けねえぐらいに強くなった。
それでも、あの人ははるか遠くで俺を見下ろして、悠然と笑ってた。
しかもムカつくことに、俺の苦手な防御だの攻撃のさばき方だのを教えるみてえに、懇切丁寧に喧嘩してくれやがる。
こっちは殺す気で挑んでんのに、あいつは俺を、育ててやるみてえな扱いで、軽くいなしてんだよ。
それが毎度毎度、毎度毎度だ。
スタミナ切れて動けなくなった俺を、バカにするでもなく見下ろして、もう少しこういう具合に戦ったほうが良い、俺にはどんな戦法が適しているだのなんだの、コーチしてきやがる。
ぜってェぶっ殺してやると決めた。
このスカしたツラに一発ぶちこんで、無様に泣きわめくまで挑むと決めた。
それが……何のときだったかな。
俺は全然、ろくすっぽ覚えてねえんだけどよ。
あのお綺麗な男が、ずたずたに大怪我して、ゴミみてぇに路地裏に捨てられてたんだ。
ショックだった。
腕に、身体をかばった傷がなかった。代わりに縛られたような痕が残ってた。
要するに、何かの取引の結果、良いようにボコボコにされて捨てられちまってたんだろう。
あんなに強くて凛々しくて、ふてぶてしかった野郎が、見る影もねえんだよ。
なのにさ、笑ってやがったんだ。
何でヘラヘラしてんだと思った。自分が死にかけてんのに、何余裕ぶってんだ、って。
今なら殺せると思って近付いた。跨って、首絞めて、ぶっ殺してやろうとしたんだ。
そうしたら、アイツなんて言いやがったと思う?
「俺の野望を潰す覚悟は、あるんだろうな。この、レーヴェの命を取るってのは、そういうことだぜ」
もう殆ど死にかけの男が、目だけギラギラさせて、不敵に笑ってんだ。
その時、分かっちまったんだよ。
こいつは納得ずくでボコられて、潰されて、それでもいい取引だったと笑ってんだ。
この男の目は、今目先じゃない。自分の目の前の命ですらない。
もっとずっと遠く。はるか未来を予感しているんだと、そう思った。
仲間を助けようとしたんだと、あとで聞かされた。
まだ会長も20代の頃だ。
派閥はかなりデカかったが、街を仕切ってたギャングらと真っ向からやり合うにはまだ足りなかった。
その、足りない一手を埋めるための取引が成されたのか何だったのか、詳しいことは知らねえ。
確かなのは、俺がこの一件で、この人についていくと決めちまったことだ。
レーヴェを病院に連れて行って、意識がきっちり戻るまで、そばでじっと見守った。
バカバカしいと思う。
何であのとき殺して、何年分もの決着にケリをつけちまわなかったんだろうかとも思う。
だけどもし。
もしだ。
この掃き溜めみてぇなスラムで、こいつには何かの希望が、見えてるんだしたら。
それが、自分ひとり分の命じゃない、もっとたくさんの命を、俺たちを、幸せにするようなものだとしたら。
自分のみみっちい敗北や野心で、この人の野望が潰えるのを、初めてもったいないと思った。
それに、悔しい話なんだが、会長の言うとおりにして戦ったら実際強くなれたって実績もあった。
冷静だってのは、この人に関してよく言われることだ。
だけどこの人が落ち着いてられんのは、ずっと遠くにある未来を、信じてるからだと思ってる。
そして、その未来の主導権が、必ず自分の手中にあるってことも。
だから俺はついていくことに決めたし、今もこうして、勝ち馬に乗らせてもらってる。
アンタの主人もいい目をしてる。
ウチと取引するってことは、会長の野望の一部になることだ。
存外、悪くない人生だぜ。 - 執筆:三原シオン
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