幕間
観測日記(テアの場合)
観測日記(テアの場合)
関連キャラクター:テア・アナスタシス
- « first
- ‹ prev
- 1
- next ›
- last »
- 小さきあなたの、幸福を願い
- 迷い犬か、捨て犬か。
首輪が無いところを見ると、後者だろう。
「くぅん……」
テアは灰色の子犬を見下ろす。街の片隅、誰にも顧みられずにいるこの子犬を、彼女は放っておけなかった。
「少しだけ、待っていてください」
暫くの後。買い物袋を抱えて戻ったテアは、子犬に寄り添うように屈んでみせる。豊満な胸が少々邪魔だったが、最早慣れたものだ。
子犬は怯えと警戒の入り混じった目で後ずさる。テアは布と軟膏を取り出し、子犬の傷口に優しく薬を塗り始めた。子犬にとってテアは敵かどうかも分からない相手だ。縮こまったり噛みつこうとしたりの抵抗に遭いつつも、最終的には何とか応急処置を終えられた。
次に取り出したのは、新鮮な生肉だった。そっと子犬の前に差し出す。子犬はじっと肉を凝視して、それから恐る恐る口にする。空腹だったのだろう、すぐにがつがつと貪り始め、あっという間に完食した。
「私と一緒に来ませんか?」
ふと言葉が零れ落ちた。その提案を口にさせたのが、果たして哀れな存在に対する善意なのか、心の奥でざわめく何かなのかは、彼女自身にも判らなかった。
子犬の目を見る。相変わらず怯えたままだ。肯定の意思は窺えない。
「――明日も、来ますね」
次の日。テアが訪れても、子犬はそこにいなかった。
その次の日も。次の次の日も。次の次の次の……。
二週間ほどが経っただろうか。もう会えないのではないかと思いつつも、今日も足を運ぶことをやめられなかった。
「わうん!」
突然、真っ白な子犬が彼女の足元に戯れ寄ってきた。テアはぱちくりと瞬きする。
薄灰色の毛並みからはあまりに見違えていたものだから、あの子犬だと気付くまでには数秒の時間が必要だった。
「こら、急にどこ行くの!」
慌てた様子で飼い主らしき女性が駆けつける。女性は整った身なりをしていて、特にルビーの輝く指輪が目を引いた。きっと裕福なのだろう。
「ごめんなさい。お怪我はなくて?」
「大丈夫なのです。……可愛い子ですね」
あら、ありがとうと女性は笑ってみせる。
「捨て犬らしくて拾ったの。酷いことをする人もいたものね」
テアは頷いた。
「お家までもうすぐよ。さ、行きましょう」
「わん!」
子犬は最後に一回だけテアに吠えると、女性と共に行ってしまった。
楽しげに連れ添う一人と一匹を見て、テアに穏やかな確信が訪れた。もう、あの子犬が不幸な目に遭うことはないだろう。恵まれた主人の元、愛情を注がれて育つはずだ。
テアは口角を上げるだけの微笑で見送った。伏せた瞼に、幽かな寂寥を滲ませながら――。 - 執筆:梢
- 通りがかりの小さな幸せ
- 「ふう……今日も色々と買いすぎました……」
両手にたっぷりの購入品が入った手提げ袋をぶら下げて街の中を歩くテア。
今日は買い出しをするぞ! と意気込んだのは良いが、あれもない、これもない、と切れていた消耗品をぽんぽん籠に入れたものだから、持ってきていた手提げ袋では足りないほどに色々購入していた。
出来れば休まずに家まで持ち帰っていきたい。そう考えてテアは両腕の重さに耐えながらも歩いたのだが、住宅街を抜ける間際の坂道を登りきってギブアップ。
「む、無理ですよぅ……」
どさりと荷物を地面に下ろし、両腕の筋肉をほぐしながら休憩をとったテア。
よくこんなにたくさん買ってしまったものだと己の過ちを嘆いていたが、必要な物しか買ってないのだからこれは必要経費! と気持ちを切り替えることでもう一度頑張ろうという気持ちになれた。
もう少し休憩したら歩こう。そう思っていた矢先のこと。
「……おや?」
風が1つ吹くと、砂糖の甘い香りが辺りをふんわりと包み込む。先程までは何も感じ取れなかったのだが、どうやら風が何処からか運んできてくれたようだ。
甘い香りがテアの鼻の奥を通り抜けて脳に信号を届けると、途端にテアのお腹がキュゥ……と鳴る。甘いものが欲しい、と身体が訴えを上げているのがよくわかった。
「むむむ……ちょ、ちょっと見に行くだけなのです……!」
せっかく届けてくれた美味しそうなものの気配。それを逃す理由など何処にもないと、テアは下ろしていた荷物を再び持ち上げて甘い香りのもとを探し出した。
「いらっしゃいませー」
「わわぁ……」
風が届けてくれた香りのもとはテアが休んでいた地点から少し離れた喫茶店からのもの。今はできたてのプリンやスイーツ提供しているようで、カラメルの香ばしい香り等も店の外へと溢れていた。
思わぬ名店を見つけてしまって少し嬉しくなったテアは、ここらで小休憩をすることに。せっかく来店したのだから、このお店にあるスイーツを食べてみたいという欲が脳を支配する。
ショーウィンドウに並んでいる美味しそうなスイーツをいくつか選んでテーブル席へと足を運ぶテア。選んだチーズケーキ、プリン、暖かな紅茶をテーブルに下ろすと、いただきます、と小さく述べてからまずはチーズケーキを一口。
「……っ……! お、美味しい……!」
ふわっとしたきめの細かい生地が舌の上で甘さと酸味を広げ、一口噛めばしゅわっと溶けていく。酸味を出すために入れられた刻んだレモンがプチッと弾けると、途端にテアの口の中にレモンの香りが広がってまた別の味を醸し出していた。
一口、また一口と食べ進めるうちに、チーズケーキを完食。たった一切れだというのにテアの満足度はとても高く、これはプリンにも期待できるだろうと紅茶を一口飲んだ。
「はわ……紅茶も凄く美味しいのです……!」
口の中を少しさっぱりとさせるために頼んだ紅茶なのに、甘さが控えめで丁度よい濃度で抽出された味がレモンで支配された口の中を洗い流す。
こんなにも丁寧に抽出された紅茶を飲んだのは初めてだと感銘を受けたテア。これは、プリンも心してかかるべきでは? と喉を鳴らし、スプーンで掬いとる。
ぷるんぷるんとスプーンの中で揺れるプリンを眺め、いざ、一口。
「……~~~っ!」
口の中に広がった牛乳と卵と砂糖のマリアージュ。舌触りがなめらかで、舌の上に乗せた途端にスッと消えていく。かと思えば舌の上にはサラッとした甘さしか残らず、むしろ次のプリンを食べたいという気持ちを促進させていた。
そうして底にたどり着けば、ほろ苦いカラメル。とろりとプリンの中に溢れると、先程まではサラッとしていた甘さがギュッと濃縮されて、テアの口の中をがっつり掴んで離さなかった。
「ごちそうさまでした。……ここは、名店としてワタシの記録に残しておくべきだと判断しました」
人造種族の少女テアの頭脳が、この店を登録する。
『小さな幸せを頂けた場所』。買い物以外でもいつでも来ることが出来るように、丁寧にマップとお店の名前を記憶して。
大きな荷物を両手いっぱいに抱えたテアは、帰路へと付いた。 - 執筆:御影イズミ
- « first
- ‹ prev
- 1
- next ›
- last »