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イラスト詳細

【三周年記念SS】<魂の半身>*春風様

作者 春風
人物 十夜 蜻蛉
イラスト種別 三周年記念SS(サイズアップ)
納品日 2020年11月15日

4  

イラストSS

 弱い雨が、さーっと軽い音を立てて降り続いていた。
 風はないからと、丸い障子窓を半分ほど開けて、蜻蛉は窓際でぼんやりとしていた。
 半分ほど瞼を落とし、窓の近くの壁に身を預けている。
 眠いわけではない。“そういう気分”だったのだ。

 見知らぬ世界に召喚されてしばらくが経った。
 住む場所を与えられた。着るものも、食べるものも、贅沢をしなければ普通に暮らせるくらいには問題がなかった。
 とはいえ、いきなり友人が出来るわけでもない。同時期に召喚された人たちも当然のようにいるし、ローレットへ足を運べば顔見知りくらいはいるけれど。
 けれど、それは。友人でも家族でもない。心を許せるような距離に誰もかがいるわけではないのだ。
 だから、少しだけ。寂しかったのだ。 

 湿った空気に混じって、土の匂いが鼻をついた。元いた世界と変わらない、普通の土の匂い。
 土だけではない。雨も、空気も、晴れた日に見る太陽も。庭に咲いた花の匂いも。普通の景色の中にある、馴染みのあるものだ。
 夏の暑さが薄れたこの時分は、弱い雨でも少し肌寒い。障子窓を閉めようと、瞼を上げて手を伸ばした。

 ぴょん、と。それは突然、障子窓の外から現れた。窓敷居にちょん、と乗った真っ黒な猫。じっと蜻蛉を見たその瑠璃色の瞳が、すごく綺麗で、印象的だった。
 突然の来客に目を丸くしたが、次の瞬間には黒猫に微笑んだ。
「雨宿りに来たん?」
 問いかけに鳴いて返すでもなく、黒猫は窓の外を向いて、上半身を起こしたまま座った。
「お前も一人なん? ……奇遇やね、うちも一人なん」
 飼い猫と違って、野良猫はあまり鳴かない。だから、こんな雨の降った日に、帰る家が無いのかな、と。寄り添う家族がいないのかな、と。そう思ったのだ。
 自分に似た黒猫。
「ちょっと閉めよか」
 黒猫の頭越しに窓を半分だけ閉める。そして、その黒猫に倣うようにして、蜻蛉も窓の外を眺めた。
 時間が静かに流れていき、やがて元々弱かった雨が去ると、黒猫は腰を上げて振り返って蜻蛉を見た。目が合ったその瞬間が、黒猫の瞳に蜻蛉の瞳が映ったその瞬間が、まるで水面に映った月のようだった。
 そして1度も鳴かないまま、窓から飛び出した。

 それから数日が経って、また雨が降った。
 あの雨の日、黒猫と会った日のことを、雨が降る度に思い出すのだ。だから、雨の日は窓を開けておいた。自分に似た黒猫を待っているのだ。
 覚えた親近感が、心の寂しさを少しだけ埋めてくれていた。
 そしてその相手が、今日も窓からやってきた。
「また来たん? 今日は、美味しいもの用意しといたんよ」
 窓敷居に座った黒猫を僅かに弾んだ声で迎えると、台所に向かい、少ししてから戻ってきた。
 いつ来るのか。そもそも来てくれるかは分からなかったけれど。それでも、簡単なものをいつでも作れるようにしておいたのだ。
「ふふ、たんとお食べ?」
 黒猫はそばに置かれた皿に顔を近づけると、少しずつ口にした。蜻蛉はその頭を指でそっと撫でる。嫌がられなかったから、食べ終わるまでの間に何度かそうした。
 やがて、それを食べ終えると、皿を片付けた。部屋へ戻ると、黒猫はあの日のように雨の降っている外を眺めていた。
 かがんで、もう1度だけ頭を撫でる。

 そして雨が止んだ。
 望みを口にするなら今だった。

「……もう、うちの子になり?」
 そうしてほしかった。
 そうしてほしかったけれど。
 黒猫はやはりあの日のように、蜻蛉を見上げると、窓から飛び出した。
「また、待ってるからね? 考えといてね?」
 もう姿の見えなくなった窓の外へ、小さく声を投げた。

「晴れの日はどこにいるん?」
 3度家を訪れた黒猫への、返ってくるはずもない問いかけ。
 雨の日にはこうして来てくれる。だから、そう遠くない範囲で行動しているはずなのだ。けれど、晴れの日には見たことがない。外敵から身を守るために隠れているのかもしれないけれど。全く見かけないというのも不思議な話、不思議な子だった。
「好きな花は何かあるんやろか」
 2つ目の、返ってくるはずもない問いかけ。問いかけられた黒猫の視線の先で、庭に咲いたナデシコやコスモスが、自身を濡らしてた雫を地面に落とした。
「……止まなければええのにね」
 口をついて出た不安。
 『うちの子になり?』と言った。『考えといてね?』と言った。ずっといてほしいという気持ちと、また出て行ってしまうのだろうかという気持ち。雨が降っている間は、答えを後回しにしてもらえる。雨が降っている間だけは、そばにいてくれるのだ。
 あの時と同じ問いをもう1度。窓敷居を自身の定位置にした黒猫に問いかける。
「ね、うちの子になってくれへん?」
 寂しさがある。その心の隙間にすっと入ってくる親近感がある。その親近感に甘えさせてほしかった。
 雨の日にはここに来てくれるのだ。気持ちが一方通行だとは思えなかった。雨の日に来る特別な場所を、雨の日だけにしてもらいたくない。
 黒猫のいる窓の向こう、降り続いた雨が弱まっていた。

 そして、ほどなくして雨が止んだ。
 黒猫が、下ろしていた腰を上げた。
 振り返れば、畳に座って両手をきゅっと握って膝に置いた、家の主と目が合う。
 と、黒猫は流れるような動作で、前足から畳に着地した。
「そっか、ありがとね」
 声が震えていた。
 だって、本当に、泣いてしまいそうなくらいに嬉しかったのだ。
「せや、名前どないしよか」
 そのまま膝の上に座った黒猫の頭を撫でる。
 少し考えてから、口を開く。
「稟花。凛としたお花。どう?」
「みぃ」
 その名前を気に入ったと言うように。
 出会ってから、初めて鳴いた。

「稟花」
 履き物を履きながら名を呼べば、どこにいても現れ、とてとてと寄ってくる。
「お買い物いくけど、一緒にいく?」
 問いかけに鳴いて返すでもなく、ただ横に並ぶ。
「ん。じゃあ、いこか」
 あの後から笑顔が増えた。
 ずっとずっと、自分でも分かるくらいに。
「何か買ってあげよか。美味しいものか、遊ぶもの」
 一緒の時間が、特別な時間が増えた。
「片方だけやよ?」
 戸を開けて、稟花と一緒に外へ出る。ただそれだけの、別段なんてことないことが、ただ嬉しかった。
 新しい家族は、飼い猫にしては全然鳴いてくれなくて。それが不安でもあり、稟花らしさがあっていいなとも思う。
 空を仰ぎ見る。程よい雲と程よい日差しに目を細めた。
 けれど。
「ん……傘、持っていこか」
 雨の匂いがしたのだ。
 紅色の和傘を手にすると、戸を閉めて鍵をかけた。
「ほな、いこか」
 足元でおとなしく待ってくれている家族に視線を落とす。
 出会った時から、雨の日は稟花と一緒に家にいられる時間なのだ。だから、雨の匂いが、一緒に帰ってこられると思わせてくれた。

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