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緋の追憶
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これは加賀栄龍という男が、鳳圏の中にあった頃。イレギュラーズとなる前の話である。
回る風車の赤い列。笛と太鼓の祭り囃子に、軍服姿はひどく不似合いに思えた。
TPOという言葉とその意味を知らぬ加賀栄龍ではないが、栄龍にとってここ鳳圏で纏うべきは軍服をおいて他になしと、彼自身は思うのだ。
そう、あれかしと。
少し、鳳圏という『国』について話すべきだろうか。
鉄帝東北部。厳密にはゼシュテル鉄帝国の支配下より外れたヴィーザル地方の東に、その少数民族は暮らしている。
彼らはノーザンキングス連合王国同様自らを国と主張しているが、これもまた同様列強諸国から認められてはいなかった。
相互の理解と容認がなされないということは、必然文化は閉じるものである。
狭い領土に人や家々を密集させ、徹底したプロパガンダや徴兵制度によって数字上の軍人比率を極端に引き上げる、いわば軍国主義の村。
かといって豊富な資源や広大な土地があるわけでもなく、鳳圏はただただ過剰なほどに大量の銃剣を全方位に向け続けていた。
そんな場所を好んで制圧したい者はおらず、ノーザンキングス以上に放置されるに至るのである。
目下『戦争』中とされているのは鳳圏より北と西に位置する少数部族であり、彼らは彼らでノーザンキングスや鉄帝国の軍事力を借りる形で鳳圏への牽制を続けていた。
ある幻想の歴史家は、鳳圏の周辺部族に対する攻撃的な姿勢は過剰であると評価し、文化の衰退や思想の先鋭化をまねくとネガティブな意見も述べるが、鳳圏内にまでその評価が届くことはなかった。
先述したように周辺部族に攻撃的なため情報が『外郭』で止まり、また争いをさけたがる難民達が流れ込むこともそうそうない。
さらには鳳圏内に流れるプロパガンダや幼少よりすり込まれた鳳王崇拝思想によって、誇り高き鳳圏の民は愚かな敵国民を必ずや討ち滅ぼし大陸を鳳光に照らすのだと、なにとはなしに思うものであった。
もちろんそんな思想に懐疑的な者も少なくないが、それを表に出せばどうなるかなど火を見るよりも明らか。
民は必然的に頭を垂れ、国の求めるままに銃を取り軍服を着、一糸乱れず敬礼するのみとなるのだ。
栄龍はそんな社会の中で、きわめて純粋で誠実で、そして素直な青年であった。
幼くしてより護国を想い、兵隊に憧れ、自分もまた軍服を纏い敵兵めがけて小銃を撃つさまを夢に見た。
学友と共に木の枝を振り回しながら軍歌をうたい、カルタ札に描かれた英雄の名前にうっとりとしたものだ。
「にいちゃん、兵隊さんかい。ごくろーさんだね。ほれ」
テキ屋の男が声をかけてくる。
それまでぼうっとしていた栄龍は、片眉を歪めてテキ屋を見た。
木でできた粗末な椅子に、麦わら帽子をかぶって腰掛ける四十台ほどの男。見れば手製の輪と数字の書かれた木の柱が並んでいる。いわゆる輪投げ屋台というやつだろうか。
男は水の入ったボトルを、栄龍へと差し出していた。
「祭りの警備かい?」
「ああ、いや……」
栄龍は礼をいってボトルを受け取りつつも、返す言葉に迷った。
夏祭りが開かれるというから、同僚に連れられてやってきた次第だが、その同僚はといえば女友達とどこかへ消え祭りの華やかさが苦手な栄龍はといえば静かな方へ静かな方へとふらふら歩いていただけだったからだ。
迷っていると、男のほうが話しかけてくる。
「鳳王様も粋なことをなさる。戦争のさなかでも祭りはやってくださるんだからな。民にガス抜きが必要だと分かってらっしゃるんだ」
対する栄龍は『はあ』と小さく返すのみだ。
この夏祭りが下士官たちのポケットマネーで細々と、そしてなかば上官たちから放任されるかたちで行われたことを、少なからず知っていたからである。
それゆえだろうか。祭りを素直に楽しむ気にはなれなかった。そもそも同僚の付き合いにすぎないのだし……。
「青年」
と、不意に。
重い獣のような声がした。
慌てて振り向くと、着流し姿の男が紙幣を指に挟んで立っていた。
「その遊びをやるのか」
輪投げの道具を顎で指し示して言う男に、栄龍は慌てて道を譲った。
「失礼しました。邪魔を――」
「ああ、そういう意味ではない。楽にしていい」
男は紙幣をテキ屋の男にただ渡すと、ポンと肩を叩いてやった。
「ご苦労。酒でも飲むといい」
「ヘイ。どうも」
腰を低くする男の様子に、思わず栄龍は背筋を伸ばしてしまった。
ぴんと『きをつけ』の姿勢をとった栄龍を見て苦笑する着流しの男。
「楽にしていいと言ったそばから固くなるやつがあるか」
「は」
短くイエスで応える。
相手の身分も分からないが、栄龍の本能がそうさせた。
「祭りへ遊びに来たんだろう?」
「は、いいえ。同僚の付き添いでしたが、はぐれました。自分には賑やかすぎます」
「祭りとはそういうものだ。なにせ年に一度しかやらんのだから……」
男は懐からもう一枚紙幣を出すと、栄龍の肩をぽんと叩いてからそれを握らせた。
「楽しんだ方がいい」
「は。しかしこれは」
もらえません。そう述べようとしたところで、けたたましく軍服の兵士が駆け寄ってきた。腰の軍刀がガチャガチャと鳴るほどの乱しように男は顔をしかめ、手のひらを出して兵士をとめる。
「閣下! 不動閣下! こちらにいらっしゃいましたか」
「なんだ騒々しい。祭りの席だぞ」
「……失礼」
兵士は手をかざし、男の――『不動』と呼ばれた男の耳に小声で話しかけた。
「技術部のやつら、またか。わかった、今行く」
ぽかんとその様子を見ていた栄龍に手をかざし、『では、また』と足早に立ち去る不動。
栄龍は改めて振り返り、輪投げの景品にあったブロマイドを手に取った。
『戦神』不動 界善陸軍大将。
祖国の大英雄である。
「あ、あの人が……?」
「なんだにいちゃん、知らずに話してたのかい」
テキ屋の男が懐に紙幣を丁寧にしまいながら笑った。
「あ、ああ……」
ストンとそのばに座り込む栄龍。
テキ屋の笑い声と祭り囃子と、少し遠くで鳴く蝉のジジジという音が、まどろむように混ざり合った。
「それが、俺が不動閣下と話した時の思い出だな。いやあ、大英雄に声をかけられるなんて滅多にないことだぞ。それも俺なんかが」
時はずっと進んでローレットのギルド酒場。
召喚をうけイレギュラーズとなった栄龍はビールジョッキを片手にカラカラとギザ歯を見せて笑っていた。
古今東西様々な国を見て見聞を広げた今となっては、鳳圏の特殊さや異常さは理解できる。とはいっても祖国のこと。いつかはあの国に帰ってみたいと思うものだが……。
召喚される前よりも更に鳳圏と周辺部族の争いは激化していた。わざわざ敵対部族の土地を通って鳳圏へ入るなど命を捨てに行くようなものだ。
噂もほとんど流れてこない故郷のことを、栄龍はただただ懐かしむのみである。
今でも心の中には赤い風車の光景が、祭り囃子と蝉の声が流れている。
いつか……いつかは帰れるだろうあの風景が。
※担当『黒筆墨汁』