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お前の話を聞かせろ

登場人物一覧

キドー・ルンペルシュティルツ(p3p000244)
社長!
キドー・ルンペルシュティルツの関係者
→ イラスト

 年が明け、酒場は大賑わいだ。見渡せば、酒を楽しむ者、酒に溺れる者、嘆く者、女を口説く者、喧嘩をする者。人々は酒場で自由気ままに振舞う。そう、正体をなくしたゴブリンもその一人だ。名はキドー・ルンペルシュティルツ(p3p000244)と言う。シレンツィオ・リゾート無番街、裏歓楽街のとある大衆酒場で、キドーは派遣会社ルンペルシュティルツのスタッフであるスキンクとかれこれ、四時間ほど飲んでいる。
「スキンク、今度は何を食いたい?」
 キドーは上機嫌だ。スキンクはキドーの話を遮らない。テーブルに肘をつき、キドーは酔っ払い特有の目付きをする。スキンクは苦いサラダを咀嚼しているところだ。空っぽのビールジョッキ、琥珀色に濡れたショットグラス。白い皿には、煙草の吸い殻がしなびたフライドポテトのように重なっている。キドーはビールジョッキの取っ手を掴んだ。乾燥によってひび割れた唇をジョッキの縁につけ、底に残った泡を喉の奥に垂らした。
「あっちィ。サウナだな、此処は! もう一枚、脱いじまうか?」
 キドーの椅子の背にはジャケットが無造作に掛けられている。キドーはワイシャツのボタンを掴んだ。キドーもスキンクも汗を搔いている。外は雪がちらついているが、店内は人々の熱気によって夏そのものだ。キドーが突然、吹きだす。汗でくたくたになったキドーのワイシャツから刺青が透けている。そのことに気が付いたのだ。
「スキンクくん! 見ろよ、刺青が透けてんぜ! えっろッ!」
 キドーが透けた刺青を擦れば、スキンクがごくりと喉を鳴らし、刺青をじっと見つめる。
「──熱心だねえ」
 キドーはにたにたと笑いながら、店のライターで安価な紙巻煙草に火をつけた。口の中に煙を少しだけ溜め、甘い煙を上空に吐き出す。甘い靄が広がり、すぐに散っていく。キドーは店内をぼんやり眺めながら煙草を吸い、灰を白い皿に落とした。この騒がしさが愛おしい。
「ほんと。丸見えですよ、社長」
 スキンクはいつもと同じ声を発しながら、ワイシャツの上からキドーの刺青に触れはじめた。表情は変わらない。ただ、視線がしただけだ。キドーはふっと笑う。
「スキンク、今日だけはタダだぜ?」
 キドーは皿のど真ん中に煙草を強く押し付け、ワイングラスに触れた。小首を傾げる。スキンクが頼んでくれたのだろうか。覚えのないレンガ色の液体がグラスの中で、大きく揺れている。キドーは赤ワインを一気に口に含み、飲み込んだ。喉がぎゅうと笑った。
「うめェ~。で? 何にすんだ?」
 赤く湿った唇を指で拭い、スキンクを見た。スキンクはまだ、キドーに触れている。湿った指がキドーを撫でまわす。
「スキンク?」
「社長、おれは肉が食いたいです」
 スキンクの言葉にキドーは賛成の意味を込め、笑った。
「そうか、そうか。おおぃ、ここ! ここだよ! 注文だ、注文!」
 酒場を駆け回る巨軀のピンク髪の女に向かって叫んだ。女はすぐに気がつく。
「注文は?」
 女は仏頂面でキドーを眺めている。あちこちで女を呼ぶ声が聞こえた。
「黙りな、順番があるんだよ。で? あんた、注文は?」
「──あれ? 何だっけ?」
「肉です、社長」
「そうだ! 肉だ、肉! 肉をどんと焼いてくれ! 塩とこしょうで」
 キドーは尖った爪でテーブルを二度、叩いた。
「酒は?」
「ビールを二つ!」
 キドーは言い終え、新しい煙草を吸い始める。気が付けば、スキンクの手はキドーからはなれ、ぬるいスープを熱心に口に運び始める。トマトと豆のスープだ。
「──お前も吸え」
  灰を皿に落とし、煙草の箱をキドーはテーブルに投げ捨てる。スキンクは顔を上げ、箱に手を伸ばした。
「いただきます、社長」
 スキンクは煙草を咥え、火をつけた。スキンクは静かに煙草を吸っている。
「うめえだろ?」
 キドーの言葉にスキンクは煙を吐きながら、頷く。女がテーブルにビールジョッキを置き、すぐに離れていく。
「そりゃあ良かった」
 キドーはスキンクをじっと見つめる。スキンクは慣れた手つきで皿に灰を落とした。酒も煙草も付き合いの為に覚えたのだろう。スキンクは何も変わらない。
「なぁ、スキンク」
 煙草を皿に置き、ビールを喉に押し込む。
「なんです?」
「てめえの話をしろや」
「社長」
「あン?」
「煙草に思い出でもあるんですか?」
「──さぁな」
「そうですか、懐かしそうな顔をしていました」
「……誰かが吸ってたんだろ、多分」
 キドーは笑った。名前はもう思い出せないが、カンデラキドーの煙草は先輩が吸っていた煙草によく似ている。
「先輩ですか?」
「かもな」
「いいですね」
「すんげえ店に連れてかれたけどな」
「社長」
 スキンクは煙草を折り曲げ、皿に放り投げた。
「なんだよ、急に」
「社長は鳥と猫、どっちが好きですか?」
 矢継ぎ早にスキンクは質問を重ねる。
「なんだよ、それ。世話でもするつもりか?」
「そんな感じです」
「なら、そん時は選ぶの付き合ってやるよ! で、スキンク」
「なんです?」
「何でもいいから話をしろや」
「……無いですよ」
 スキンクは女をさりげ無く呼び止め、白ワインを頼んだ。
「無いわけないだろ」
「むしろ、おれは社長の話が聞きたいです」
「だーめっ! スキンクくぅん! 頼むよ、聞かせてくれよ。社長直々の願いだぜ?」
 テーブルに置かれたビールジョッキを引ったくるように掴み、ジョッキを傾けた。黄金色の液体が瞬く間に喉の奥に消えていく。
「……面白い話じゃないですけど」
 スキンクは女から受け取った白ワインを飲み、キドーを見つめる。
「良いんだよ、そんなの! 俺が聞きてえの! スキンクちゃん、いいじゃないの!」
「社長」
 スキンクは息を吐く。
「しっかり聞くからよ? 肉も届いたし食いながら話そうぜ?」
 キドーはテーブルに置かれたビーフステーキを見た。五切れの分厚い肉。肉はしっかりと焼かれ、ステーキ皿に載っている。ビーフステーキの横には、黒焦げのブロッコリーが転がる。
「じゃあ、スキンクは三切れな! ほら、食えよ?」
「──分かりました、話します」
「よっしゃあ! スキンクくん、愛してるぅ!」
 スキンクの眉根が寄り、無意識だろうか。右手首に彫られたトカゲの刺青に視線を移した。
「で? で?」
「まずは食います」
「食え、食え!」
 スキンクは頷き、フォークをステーキに突き刺した。齧りつき、瞬く間に肉を食い千切った。僅かな咀嚼のあと、白ワインを飲み干す。
「社長。柔らかくて美味いです」
 スキンクは息を吐き、キドーを一瞥する。
「……社長、これは豊穣のとある、漁師の息子おれの昔の話です」
「豊穣? いいな、続けてくれ」
 キドーはステーキを指でつまみ上げ、呑みこむように口に含んだ。垂れた肉汁がテーブルを汚している。分厚い肉をぐちゃぐちゃと咀嚼し、キドーはスキンクの言葉を待った。
「……名前は六吉。その男は豊穣の寂れた漁村の産まれで六人兄弟の末っ子でした」
「へぇ? 六人兄弟ねえ、賑やかなこった! で? そいつがどうした? 死んだか?」
 キドーは言い、濡れた指を舐める。
「いいえ、死んだのはその男の父親です」
「あ? 死んだ? 突然だな、どんな親父だったんだ?」
「背中に刺青を背負った、漁師の男でした」
 スキンクはステーキ皿に顔を近づけ、フォークでステーキをすくうように食べた。
「ふぅん、良い男だったんだな」
「さぁ」
「素直じゃねェな」
「……ただ、その地方の漁師達は皆、刺青を彫っていたにも関わらず、妖艶な細面の天女の刺青は目を引くもんでした」
 キドーは相槌を打ち、女にビールを頼んだ。スキンクは舌で唇を湿らす。
「ある日、その男は死にました」
 沈黙が降りる。
「漁師ってことは水死体か?」
「はい」
「誰が見つけたんだ?」
「──発見者は磯で貝を獲っていた六吉、六吉は水死体が自分の父親だとすぐに理解しました」
「刺青でか?」
「はい。ただ、あの時の六吉は泣き叫ぶことも驚くこともなかったです。静かに男を見ていました」
「あ? ぼんやりしてたんだろ? 父親ってのが死んだせいでよ」
 スキンクは左右にかぶりを振った。キドーは訝しがり、次に好奇心を赤い目に滲ませた。
「違うのか? スキンク、怒んねえから言ってみろよ」
「──波間で揺らめく天女の刺青が美しかったからです」
「へぇ? そうだな、分かるぜ。綺麗だろうよ」
「天女がおれを誘っているようでした」
 スキンクは目を細めた。過去を見ているのだと思った。
「見たかったな、その刺青! で? 漁師の息子って奴はどうした? 親父の跡を継いだのか?」
「いいえ。あの日から、男は刺青に夢中になりました」
 表情は何も変わらない。淡々とした口調。報告書を読み上げているようだ。そして、スキンクは黙った。この話は終わりなのだろう。今度はキドーが口を開いた。
「あ? 良いじゃねェか。刺青に夢中になるくらい親父がってことだろ? スキンク、お前の話、嫌いじゃないぜ」
「……」
 スキンクは目を瞬かせ、一瞬、口角を上げた、そんな気がした。
「お、笑ったか?」
「笑ってないですよ」
「そうか? 一瞬、笑った気がしたけどな」
 キドーは頬杖をつき、スキンクをじっと見つめる。
「気の所為ですよ」
「そうか? いや、笑ってたぜ? 解んねえけどなんか嬉しかったんだろ! やっぱ、社長の言葉は響くか! やっぱりなぁ。すげェな、俺!」
「社長」
「なんだよ?」
「なんだか、急に腹が減ってきました。今ならおれ、何でも食えます」
 スキンクはステーキを豪快に呑み込む。
「へぇ? じゃあ、ほら。俺のステーキも食えよ。ブロッコリーも全部な!」
「ありがとうございます」
 スキンクはステーキ皿を瞬く間に空にする。
「社長、麻婆豆腐と唐揚げと刺し身、頼んでいいですか?」
「おう、じゃんじゃん頼めよ」
 キドーは笑い、「スキンク、今日は吐いても帰らせねえからよ」と唾を飛ばしたのだ。

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