PandoraPartyProject

SS詳細

ゼロへと還れ

登場人物一覧

クロバ・フユツキ(p3p000145)
深緑の守護者
クロバ・フユツキの関係者
→ イラスト
アルテミア・フィルティス(p3p001981)
銀青の戦乙女


 死神が其処にいた。

 刃の付いた銃を携え、刃と弾で敵を屠るだけの、死神。生と死の天秤をずっと死に傾けて、周りにある生命に其れを押し付け続ける、死神。
 其れはローレットに来た依頼ではない。いわば“非合法の依頼”――血と虐殺に塗れた戦闘の中へと、クロバ=ザ=ホロウメア“だったもの”は身を投じていた。
 其れで良かった。其れが死神の有様だったから。
 最初から判っていたんだ、俺は死神なんだって。最初から判っていた、ただ、少し高望みをして――己の分相応を知っただけだ。
 何を判っていたんだっけな? 何だっけな。
 もういい。そんな事、忘れてしまえば良い。煙る血の香りで頭が沸騰して、また直ぐに、思考は霧散する。



 アルテミア・フィルティスの捜査は難航していた。
 ターゲットがギルドの依頼に参加した経歴は、ある日を境にぷっつりと途切れている。聞き込みも的を得ない、或いはぼんやりとしたものばかり。
 彼の知人も、彼を見ていない・心配しているといった声を聴く。数週間前なら、という言葉が多く聞かれた。つまり其れまでは、彼は何ともなかったという事か。なら、今は……? 囚われているのか、何処かへ旅に出ているのか。流石に国外に出られては、アルテミアにも探しようがない。――けれど、何処か確信がある。彼はまだ、この幻想(くに)にいる。
「……あっ」
 どん、と肩がぶつかった。相手が「きゃっ」と声を上げ、体勢を崩しかけたのを慌てて支える。
 線の細い少女だった。
「ごめんなさい、大丈夫?」
「大丈夫、です。こちらこそごめんなさい。考え事をしていて」
「私も考え事をしていたの。だから謝らなくていいわ」
 ――片目と片腕に包帯。隠すようなブロンドの前髪。彼女はまさか。アルテミアは己の偶然にキスをして、喝采の声を上げたくなった。そうだ、彼女はクロバの“義妹”――!
「……セツナ・フユツキさん?」
「……」
 少女が目を見開く。当たりだ。
「何故、私の名を……?」
「私はアルテミア。アルテミア・フィルティス。貴女の兄を探して……そうね。近くのカフェに入って、話しましょう」

「……兄さまが」
 クロバを兄と慕うセツナに粗方の説明と、今は手がかりが少なく彼の足取りがつかめない、というところまで話して、アルテミアは一度話を切り、珈琲に口を付けた。セツナが頼んだフルーツジュースは手つかずで、ころん、と空しく氷のぶつかる音が響く。
「そうだったんですね。いつも遊びに来てくれた孤児院にも来てくれなくなって、一体どうしたんだろうねって皆と話していたのに……そんな」
「貴女が責任に思う事はないわ。彼が何をしているかは判らない。どこかに捕まっているのかもしれない」
「捕まっているなら、直ぐに助けに行かないと……!」
「落ち着いて。……私一人ではこの件は手に余るところだったの。お願い、協力して貰えないかしら」
「協力……ですか?」
「ええ。貴女には貴女の人脈があるでしょう? 彼――クロバさんについて聞いて回って欲しいの。予想もしないところから情報は転がり込んでくるものよ、こういうケースは特にね」
「……でも、お役に立てるかどうか……」
「セツナさんは情報を手に入れてくれれば其れでいいわ。検分は私がやる。私も私が手に入れた情報を貴女に提供するわ。じゃないと不公平でしょう?」
「……。判りました。兄さまが見付かって、無事に帰ってきてくれるなら……私、やります」
 其の答えを聞いて、アルテミアは笑った。彼女はローレットで情報屋見習いもしているはず。なら、ローレット内部の(アルテミアが触れられなかった)情報もある程度は洗えるだろう。心強い味方を得た、とコーヒーカップを持ち上げ、口を付けた。


「で、此処なのね」
「はい、目撃情報があったのは此処です」
 “白い二刀の鬼を見た”。
 ――そんな情報をもって、セツナはアルテミアに息を切らして報告に来た。
 クロバは生きている。二人はその確信をもって、雪が降りそうな天気の中、とある山の麓へ辿り着いたのだった。
「兄さまはまだいるでしょうか」
「判らないわ。でも痕跡があれば追――」

 ウオオオオオオアァアアアアッ!!

 咆哮。其の声は紛れもなく。
 アルテミアとセツナは顔を見合わせ、同時に走り出した。

 ――そこは、地獄だった。
 ――なら、彼は死神と呼ぶに相応しいだろう。
 獣の死体が点々と続いていた。ある所には山のように積み上げられていた。一体何匹の獣を屠ったのだろう。彼らの血を浴びてまだらになった髪を振り乱し、クロバ“だったもの”は死体に只管に剣を突き立てていた。
「兄さま……!」
 余りの痛ましさに、セツナが口を覆う。其の獣は死んでいるのに、剣を打ち付けられて痙攣している。
 アルテミアは咄嗟に彼我の位置関係と、セツナが己の後ろにいる事を確認した。
「兄さま、やめて下さい! 其の子はもう……!」
「……、…………」
 振り返ったクロバを見て、反射的にアルテミアは剣を抜いていた。其れはアルテミアにあってセツナにない、敵への反応だった。
 ――理性を失っている。彼にはもう、私たちでさえも獲物にしか見えていない。
「……はははは、ヒトか。駄目だろう、こんなところに来ちゃ。死神に命を取られても知らないぞ」
 其の言葉は逆に理性的で、2人の背筋をぞわりと冷たいものが撫で上げた。
 それでも、とセツナが言葉を紡ぐ。
「兄さま! 雪雫です、判らないんですか!?」
「雪雫? 雪雫は……死んだ、はずだ。そうだ、死んだ、はず……ははは、はははは。そうか、お前は幻覚か? 幻覚を見せる魔物が近くにいるのか。いや、術師の君が俺に見せているのか? 悪趣味なものを見せてくれるな」
 術師と呼ばれ視線を向けられたアルテミアは、眉を寄せて剣の柄に手をかけている。
「よし殺そう。全員殺す。そうすれば雪雫の幻覚も、全部消えるだろ……なあ!」
 幸いだったのは、彼もまた多くの傷で肌を覆っていた事だろう。今なら殺し合いにならずに済む。
 ――力ずくで止めるしかない。彼は言葉では止まらない。
 アルテミアはセツナの制止の声を聴きながら、クロバに向けて駆け出した。


●剣戟の後に
「……」
 胸元にかけられた毛布の感覚を、もうどれくらい感じていなかっただろうか。
 クロバは目覚めて最初に思ったことが其れだった。布にくるまれて寝た覚えは、数日前に途切れている。それからは獣のように丸まって、意識を失うように寝ていた気がする。
「……起きた? クロバさん」
 2人の女性が彼を見下ろしていた。
「……アルテミア」
「兄さま……」
「……セツナ」
 今にも泣きそうな顔で、セツナがクロバを見ていた。そんな顔を見るのは久しぶりだと、懐かしくも思う。普段は何故か、いつも怒ってばかりだから。
「全く、心配させてくれるわね……私も本気でやらせて貰ったわよ。栄養不足やら諸々で直ぐに倒れてくれて助かったけど、其の回復力は褒めてもいいわ。でも、あれ以上の傷を負っていたら、これからの天候の中では死んでいたとお医者様は言っていたわよ。間一髪だったわね」
「俺は、生きているのか」
「私は天使じゃないわ。この子もね。あなたは間違いなく生きている」
「……そうか」
「……。うわごとのように、シフォリィの名前を呼んでいたわよ」
 シフォリィ。
 其れは、アルテミアの親友であり、クロバの想い人でもあった人の名前。其の名がアルテミアの口から出た瞬間、クロバは身を強張らせた。そして皮肉気に笑う。
「……俺は……死にそうになっても、忘れられないのか」
「そうみたいね。――貴方がそうなった原因は、彼女にあるの?」
「……」
「……彼女と、何かあった?」
「……」
 起き上がるも、クロバは頑なに、言葉を噤んだ。しかしアルテミアの耳には既に入っている話だ。だって彼女は、シフォリィは、アルテミアの親友なのだから。
 はあ、とこれみよがしに溜息を吐いて、アルテミアは己の銀糸を耳にかける。
「彼女のやり方も強引で、褒められたものではないけれど――ねえクロバさん。あなたは負けていいのかしら? 負けた理由を聞きたいのなら、昔話を一つしてあげる」
「俺はきっと、ずっと彼女に勝てないままだ。……昔話……?」
「ええ。とある女の子の話よ」


●むかしばなし
 女の子がいました。
 とても美しい女の子は裕福な家に生まれ、婚約者と兄と、仲良く暮らしていました。
 彼女は幸せでした。今以上の幸せを望むことは、罪のように思えたのです。
 ――けれど。其の幸せは、ガラス細工のようにぱりんと壊されてしまいました。
 婚約者を亡くした彼女は。
 家がみるみる貧しくなる中、翻弄された彼女は。
 婚約者の家のものに、兄を助けたくないか? と持ち掛けられました。其れはとても甘い蜜。死んでしまいそうな程、甘かった。
 でも彼女は其れにすがるしかなかったのです。兄を救うために、彼女は――売られました。
 其処には不幸が詰まっていました。欲望という欲望が、彼女の肢体を塗りつぶして行きました。ささやかな幸せも望めない地獄を見ました。
 彼女はもう、無垢な乙女として夢見る事すら、許されなくなってしまったのです。


●昔日の後に
「……」
 クロバは絶句していた。
 アルテミアの語った昔話が、彼女の真実であるとするならば……全てに絶望してもおかしくない中で、どうして彼女は折れずに立っていられたのだろう?
 けれど、少しだけ腑に落ちるところもあった。時折見せる悟ったかのような横顔。其の違和感は、きっと過去の体験から来ていたのだろう。
 けれどけれど、なにより……そんな過去があって尚、人を愛する心を忘れていなかった。自分を好いてくれていたのかと、驚きさえした。
「これが、私の知っている親友(かのじょ)の過去よ。――改めて聞くわね、クロバさん。貴方は負けても良いの? ねえ、貴方はどうしたいの?」
「……俺は」
 どうしたいのだろう。恋をして、好きだと言って、自ら遠ざかってしまった彼女に、俺は何が出来るのだろう。俺に、深すぎる傷を癒す事が出来るのか。其の前に、俺は、ヒトに立ち返ってもいいのか。罪を重ねすぎていやしないか。俺は――いやだ、何も考えたくない。きっとこの答えは、出してはならないもの、

――ぱんっ!

「……ごめんなさい、兄さま」
 何がごめんなさいなのか、最初、クロバには判らなかった。じわりじわりと熱を持っていく頬に、ああ、頬を張られたのだと気が付く。そしてそれは、セツナの手によるものだという事に。
「そんな顔をした兄さまを、私は否定したい。――私の知っている兄さまも、全て自分で抱え込んでしまって。其の姿は痛ましくて、でも私には何も出来なくて――でも、今の兄さまは違う! 生死を彷徨う間でも名前を呼んでしまうくらい好きな人の事を、その思いを全部抱え込んでなかったことにしようとするなんて、兄さまらしくない!」
 ――だから私はそんな兄さまを否定する。これは、私のエゴです。
 叫ぶように、セツナはそう言った。
 熱い頬を抑え、クロバはゆっくりとセツナを見る。
「……でもなセツナ、そんなのは、誰も望んでいないんだよ」
「だったら、兄さまが望めば良いじゃないですか! 望めるのに、望めるはずなのに、兄さまは見ないふりをしているだけ!」
「セツナ……」
「……私は、親友に幸せになって欲しい。クロバさんを探していたのも、其の為よ。今のあの子が幸せだと思う? 最後まで笑っていたから、きっと今も笑っているはず。そう思うの?」
 ――情景がよみがえる。
 あの日、確かに彼女は笑っていた。そうだ、でも、背を向けた後も彼女が笑っていただなんて、そんな保証はどこにもないじゃないか。
「――怖かったんだ、俺は」
 ぽつり、クロバが呟く。
「……元の世界の話だ。素直にはなれなかったが、父代わりの男がいた。尊敬していた。――でも、妹を殺すように仕向けられて、……愛と憎しみというものが判らなくなった」
 セツナを――この世界の“妹”を見るクロバ。セツナは何と返したらよいのか判らなくて、……俯いた。自分だったら、其れを罪として背負って欲しくないと思う。けれど、別の世界の彼女が同じことを望むとは限らないから。
「愛が憎しみに代わって、其れ以外の全部を失った。心が余りにも痛くて、そんな痛みはもう経験したくないと思ったんだよ。人間であることを捨てて、大切なものを増やさないように……してたんだ。愛ってのはいつか憎しみに代わる痛いものなんだって“学習”したからな」
「……」
「だってそうだろ!? 大切なものさえ作らなければ、失う痛みも! 憎む痛みも! 経験せずにすむだろ! 俺はもう嫌なんだよ! 大切なものを殺すのも、そう仕向けられるのも、裏切られるのも、もう、……嫌なんだよ……!!」
 気付けば熱い雫が、瞳から零れ落ちていた。毛布を握り締める手に手が重なり、頭をそっと膝に導かれる。――妹だった。セツナだった。かつて元の世界で殺した妹だった。謝りたかった、頭を大地にこすりつけて、殺してごめんと謝りたかった。でも、妹は優しいから。きっと、こういうのだ。
「良いんですよ、兄さま」
 嗚呼。きっと妹なら、そう言うだろうと思ってたよ。
「兄さま。ねえ、これからどうしたいんですか。すべてを忘れて、また生きていきますか? 其れとも、今度こそ、向き合いますか?」
 優しい問いかけに、クロバの瞳からまた一粒涙が零れた。
 好きだと言って。でも、さよならと背を向けて、去っていった彼女に。
 ――会いたい。抱きしめたい。俺が好きなのは、想っているのは君だけなんだと伝えたい。
「……クロバさん。あなたの思っている事、私には少しくらいしか理解する事は出来ないけれど――でも、思うの。大切なものを“失わないための強さ”も必要なんじゃないかって。貴方の刃は、いたずらに獣を殺すだけにあるんじゃないわ。 ……違う?」
 静観していたアルテミアが、静かな雪のように問う。其の言葉はクロバの心に染み入り――やがて、心の奥底で火が熾るのを彼は感じた。
「……ありがとうな、雪雫」
 起き上がり、その頭を撫でる。其の表情を見て、セツナの顔が少しだけ明るくなった。
「兄さま」
「色々と思い返してみれば、確かに余りにも強引だ。はらわたが煮えたぎって来る思いだよ。――許せない。俺は彼女を許さない」
「……クロバさん」
「だから、悪い男らしく」

 ――過去も、思いも。
 ――惚れた女の全部を攫って行く。

 にやり、と涙を拭って笑った男は、確かに“クロバ=ザ=ホロウメア”だった。クロバという男の帰還に、セツナは懐かしむように嬉しそうに笑い、アルテミアもまた表情を綻ばせる。そして悪戯を思い付いた子のように、人差し指を立てて見せた。
「なら、丁度いいイベントがあるじゃない。誘ってしまいなさいよ」
「……丁度いいイベント?」
「今は12月よ、クロバさん」
「――あ! シャイネンナハト!」
 そうか、と口元に手を当ててセツナが言う。成程、クロバが彼女の全てを攫って行く(てにいれる)には、丁度いいイベントだ。
「成程。――アルテミア、話してくれてありがとな」
「良いのよ。これも親友の為だもの。あの子が幸せになれないままなのをずっと見守るの、私は嫌なのよ」

 さあ、準備は整った。
 王子様はガラスの靴を片手に、お姫様を狩りだすだろう。
 決戦は、輝かんばかりのあの夜に。

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