PandoraPartyProject

イラスト詳細

【今はまだ名も知らぬ】

作者 小柄井枷木
人物 シキ・ナイトアッシュ
イラスト種別 三周年記念SS(サイズアップ)
納品日 2020年11月15日

4  

イラストSS


 シキ・ナイトアッシュは幻想の街をゆるりと歩いていた。足元から影が長く伸び、陽の光は街を赤く染めている。じきに夜の帳が街を包むだろう。

 かつり、かつりとシキの履く靴が石畳を叩く。その音がなんとも呑気なものに感じられて、ふとそんな事を考えている自分に気がついて内心で小首をかしげてしまう。
(揺らいでいるなぁ……)

 シキ・ナイトアッシュは処刑人である。そのことについて、彼女が思うことはなにもない。かつて弟の首をその手で切り落としたとき、同時に彼女は自らの心を殺したのだ。そのときから、彼女からは感情というものが欠落している。友と談笑するときも、敵と見えているときも、彼女の心は揺るぎもせず、正しく何を思うこともない。
 そのはずであった。


 じきに日も落ちるというのに幻想の街は活気に溢れていた。行き交う人の列は途切れず、露天商が声を張り上げ人を呼び込んでいる。酒場の縄のれんをくぐる男たちは仕事上がりなのか泥で汚れた作業着を着込んでいる。既に、気の早いものが飲み始めていたのか、奥からは陽気な歌声が聞こえてくる。
 そんなものに気を向けてみれば、先ほどおかしみを感じていた自分の足音なんか聞こえなくなって、それをまたおかしいと思う自分に気がついて。
(また、揺らいでる……)
 そんな事を考えていると、実際にシキの体が小さく揺れた。
「うわっ!」
「おっと」
 目線を下に向けてみれば、10歳かそこらの少年が尻餅をついている。どうやら前をよく見ないままに走ってきてシキにぶつかってしまったようだ。
「いてて……」
「おやおや、大丈夫かい?」
 シキは自分の腰を擦る少年に手を差し伸べる。
「うん、ごめんねーちゃん。ちゃんと前を見てなくって……」
「気にすることはないよ。怪我はなさそうで良かった」
 少年は差し伸べられた手を引いて立ち上がり、ぽんぽんと服についた埃を払う。見たところ、血が滲んでいるなんてこともなさそうで。それを確認したシキは良かった、と思う。
(良かった、か)
 以前の自分でも、同じ状況なら同じように手を差し伸べただろう。でも、それをしたときに、相手の怪我の心配なんかしただろうか。
「おーい、ジャン!何やってんだよ!」
「う、うるさいな!お前らが遅いからだろ!」
 シキがそんな事を考えていると、こちらに向けてかけられた声でまた数人の少年たちがこちらに駆け寄ってきていることに気がつく。どうやら、ジャンと呼ばれた、シキにぶつかった少年は彼らと追いかけっこでもしていたらしい。
「ふむ、友達にそんな事を言ったらだめじゃないか」
「う……ごめんなさい……」
 存外、素直な少年だなと思った。少々やんちゃではあるが、こうして非を認めることが出来るのは好ましい。
「次から気をつければいいさ。さ、もう日も暮れる。早く家に帰ったほうが良い」
「はーい、じゃーね、おーちゃん!」
「今度は誰かにぶつかるんじゃないよ」
 わかってるよ!なんて声を上げながら、あとから来た少年たちと合流して、彼らはまた駆け出していく。その後姿に手を振りながら、シキは笑みを浮かべていた。


 シキは日暮れの街を歩く。太陽はいよいよ地平線に近くなり、街を染める赤は一層濃さを増していく。通りに並ぶ街灯には、ぽつりぽつりと明かりが灯り始めていた。それが、沈んでしまう太陽の代わりを務めんと、煌々と輝いているように見えて、その灯りをとても美しいと思った。
(そう、思ったのか……?)
 今まで、何かを美しいと思う事があっただろうか。口にしたことは幾度となくある。何かを褒める時、それが一番手っ取り早い語彙だから。けれど、何かを心底にそう思って口にしたことがあっただろうか。そもそも、美しいということに限らず、”そう思う”なんてことは、シキにとっって馴染み深いものではなかった。


 シキは自分が揺らいでいると感じている。
 自分が処刑人としての勤めを果たしたかつての日。弟の命と、自身の心を自らの手で殺したその時から、彼女の心に波立つことなどなかった。美しいものを見ても、醜いものを見ても、喜びの笑声を聞いても、怨嗟の呻きを聞いても、そこになんの感情も抱かず、ただ受けた刺激のとおりに反応を返すだけの、自動装置のようなそれが、シキの本性であった。そう思っていたのだ。
 彼女の心は例えるなら凪いだ湖面のようだった。それが、最近は静寂ではいられない。ときに小石が投げ込まれたかのように。ときに風が吹いたかのように。彼女の心は小さく波立っている。

(これは良くないことなんだろうか)
 例えば、処刑人としては好ましいことではないだろう。仕事をするたびに心を揺らがせていては、きっとその心は保ちはしない。例えば、戦闘者としても良くはない。平静を保てないものから命を落とすというのは、先人がよく証明しているだろう。
 そんな場面に限らずとも、例えば今日だけで、あまり自分らしくないなと思える言葉を言ってしまった。
(なら、やはり……)
 この揺らぎは、抑えたほうが良いのかも知れない。それはきっと難しいことではない。何しろ、少し前まではそのほうが当たり前だったのだから。
(けれど)
 それでも。足音を愉快だと思った。雑踏を賑やかだと思った。子どもたちを好ましいと思った。街灯の灯を美しいと思った。
 それは、決して不愉快じゃなかった。
(……それなら)
 それなら、この揺らぎも悪くない。なんて、それ自体が彼女の言う揺らぎそのものな事を考えながら、シキは街をゆく。


 シキ・ナイトアッシュは処刑人である。かつて、弟の命と自分の心を同時に殺し。その心に何も映さず生きてきた。
 きっかけはきっと、この無垢なる混沌に召喚されたことで、それまでとはまるで違う生き方をすることになったがためだろう。いままでに、想像することもなかった物や、考えたこともなかった価値観を持つ人などと触れ合うことで、彼女の心には少しずつ、少しずつ揺らぎが生まれた。
 美しいものを見て美しいと感じる。醜いものを見たのなら醜いと感じる。日が照れば暑いと感じる。風邪が吹けば涼しいと感じる。そんな、誰しも当たり前のように持っているもので、しかしシキが持っていなかったもの。
 それが、「心」と呼ばれるものであると、シキはまだ知らない。

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