イラスト詳細
カルウェット コーラスの駒米による三周年記念SS
イラストSS
『森閑のメモリア』
●ホワイトスリープ
混沌にあるその山はいつも頭に雪や雲をひっかけているので『白髪山』と呼ばれていました。
あんまり長い間呼ばれ続けていたので誰も本当の山の名前を知りません。山裾に広がる森は動物たちの天国でしたが、彼らはけっして白茨の垣根の向こう、暗い森へは入ろうとはしませんでした。特に白雪色の花が夢のように咲く時期は。
大抵の物語でそうであるように、森の近くには小さな村がありました。
『暗い森の中に入ってはいけないよ』
『白茨の垣根を越えてはいけないよ』
大人たちに言い聞かされた村の子供たちは自分たちの勇気を試すことに余念がありませんでした。だって小さな村は毎日のんびりしていて、刺激が少ないですからね。
だから村に伝わる『大角の怪物』の噂を本気で信じている子供は少なかったですし、それでも存在を本気で否定するほど大人でもありませんでした。
「もうむり」
臆病なジルもそんな子供たちの一人でした。
勇気を示すためには野バラを一輪ほど摘んでこなければいけなかったのですが、鳥の羽ばたきに驚いて逃げ出し、ついに腰が抜けてしまったのです。
目的地の白茨までたどり着けたのは幸いでしたが、もう一歩も歩ける気がしませんでした。
暗い森の中を白い花びらがふわふわと踊っています。織り重なった黒色の枝の隙間から射しこむ幽かな陽射しが幻想的で優しい香りを周囲に漂わせていました。夜、空から星の花が降る日があるとしたら、このような景色になるのでしょう。
ですが、こんなにも美しい世界には音がありませんでした。
風の声、虫の鳴き声、鳥のさえずり一つ聞こえないのです。
まるで誰かが「ここから先に進んではいけないよ」と言っているようで、小さなジルの目にじんわりと涙が膜をはりました。
「バラとかもうどうでもいいから、ぼく、もう帰りたい」
度胸試しを断れなかった過去を心から悔やみ、膝を抱えながらジルは言いました。
「か、える?」
突然、誰かの声が目の前から聞こえてジルは顔を上げて飛びずさりました。
視界いっぱいに広がる薄紫のリラの花とロゼワインの瞳。
しゃがみこんだ頭から生える巨大な角を認めた時、ジルは自分の顔に向かって伸ばされていた白い指をはじきとばしました。
大角の怪物、あるいはとてもきれいな子は(この時点で混乱したジルは相手をどう評したら良いのか迷っていました)ジルの悲鳴にびっくりしたのか、手をひっこめてパチパチと宝石のような目をまばたきさせました。
「いーやーー!?」
腰が抜けていたことなどすっかり忘れてジルは一目散に走りました。村の長距離走で最速スコアを記録しましたが、当の本人は知ったこっちゃありません。
ジルの耳の上には白茨の花が一輪挟まっていたので彼は村の臆病者と呼ばれずに済みましたが、あの大角の怪物(もしくは愛らしい子)が挟んでくれたのだと思うとジルは叩き落としてしまった白い指のことを思い出し「失礼なことをしちゃった」と青くなったり白くなったり、はたまた真っ赤になったりと随分忙しなく顔色を変えるのでした。
●リフレイン
秘宝種/レガシーゼロ、カルウェット コーラス。
これが、目覚めたカルウェットが覚えていた自分に関する全てです。
暗い森の奥で眠るのは、お姫様か財宝か封じられし魔王というのは定石ですが、時折別のモノが眠っていることもあります。それがカルウェットでした。
目覚めたカルウェットは小さく欠伸をしました。酸素を取り込んだのか、睡眠中から起動中へ意識を切り替えるために必要な動作だったのか、定かではありません。
身体を横たえたままのカルウェットは精巧な人形のようでもありました。一時間前と違う点は、両の眼が開いているか開いていないかだけで、曇り硝子のように朧気な瞳孔からは意識の有無すら読み取れません。
生き物らしい動きといえば最初のあくびだけで次に動いたのは数日後のことでした。
カルウェットは上半身を起こしました。そして雲の上を歩くようにおぼつかない足取りで洞窟の中を歩いていきます。二本の脚は歩くという作業をすっかり忘れているようで、止まったり躓いたりもしました。
暗闇の森は名前の通り、昼でも夜のように薄暗い森です。
あらゆる草木が我先にと背丈を伸ばし葉を広げ、鬱蒼とした森を更に迷路のように複雑にしているせいでもあります。
――まつ。
洞窟から出たカルウェットはその場にしゃがみこみました。空が藍から青に変わり、丸かった月がゆっくりと瞬きをしても動かず、カルウェットはぼんやりと霞みがかった目を見えない空へとむけていました。
何度か朝日の刺激を受けるうちに石のように固まっていたカルウェットの意識がゆっくりと浮上してきます。
秘宝種は食事も睡眠も必要としない個体です。なのにどうして自分は眠っていたのでしょう。
その疑問はカルウェット自身も考えてみましたか、さっぱり分かりませんでした。
――まってる。
誰かどころか生命の気配もないので、カルウェットは場所を変えることにしました。
森の中をさまよって、時々自分と同じ二本足で歩く生き物に会いました。そのたびに耳がキーンとするほどの大声を出されるのでびっくりしてしまいます。どうやら森の中で会う二本足はカルウェットの角について何か言っているようでした。怯えているようにも見えました。
――もりから、でる?
――でない。まってなきゃ。
――だれを?
――わからない、けど。
見えない誰かのことを思い出すたびに胸の中が温かくなります。
でも、どうして顔が見えないのでしょう。
――おそろいの、つの。
そうだ。あのひとも角があった。大きな角、立派な角だねって撫でて、笑いあった。
思い出せたのが嬉しくてあの日のように笑います。
もし笑い声が聞こえていたら、あの人が帰ってくるかもしれませんからね。
あの日がいつの事だったのかカルウェットは思い出せません。
でも、大切な日が存在していた事はちゃんと忘れずにいられました。
それはとても貴重な、宝石よりも眩しい宝物でした。
――だから、誰に何と言われたって、へいき。
ふわり、蛍と踊ります。
――この角は、ボクの誇り。
くるり、落ち葉と廻ります。
過ぎる時間は、一瞬のようでも、永遠のようでもありました。
泡のように浮かび上がる小さな思い出を集めながらカルウェットは森の中で暮らしていました。
白茨の近くに生えたナナカマドの上でカルウェットはぶらんこのように足を揺らします。薄暗い森の中には昔、人が住んでいた気配が残っていて、その場所を訪れるのがカルウェットは好きでした。
その日は珍しく森の中に生き物の気配がありました。
見下ろせば見覚えのある幼い少年が小道を辿っています。カルウェットは首をかしげました。一度逃げ出したヒトが独りで戻ってくるのは珍しいことです。忘れ物でもしたのでしょうか。
「うひゃ!?」
カルウェットが木から飛び降りると少年は怯えた声を出しましたが、今度は逃げ出しませんでした。
「あの、さっきはありがとう」
「?」
差し出された桃薄荷の花をカルウェットは受け取りました。
お礼とは何のことでしょう。彼の髪についていた花を取ろうとしたことでしょうか。
「ぼくはジル。きみは?」
「ボ、クは」
これはカルウェット コーラスの、はじまりに限りなく近い物語。
或る秘宝種が特異運命座標として記録を残す、ほんの少し前の出来事。