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宮峰 死聖の蛇穴 典雅による三周年記念SS
イラストSS
混沌と呼ばれるこの世界に、春が訪れようとしていた。かつての世界では皐月とも呼ばれる、暖かな陽気が冬の寒さを幾分か忘れさせ、桜は少しずつ実を結び、葉桜へと変容し始めた頃が木津田・由奈(p3p006406)の誕生日が迫る前日の夜である。
――数年後に考えよう。それまで『妹』って関係でどうだい?
一世一代の告白をしたのち、その言葉を命の恩人である宮峰 死聖(p3p005112)から聞いた時から、ずっとずっとこの時を待ちわびていた。故に彼女は忌まわしい怪物に襲われた記憶すら『愛おしい思い出』と認知していた。アレに襲われたからこそ、由奈は世界で誰よりも愛する『死聖お兄ちゃん』と出会えたのだから。
今晩はいい夜になるに違いない。暗くなった空から目を離した由奈がカーテンを音もなく閉めれば、部屋の壁中に貼り出された無数の『義理の兄』の写真が由奈に微笑みを向けていた。さながらそれは日々積み重なって染め上げられていく由奈の恋心を意味するかのように、元の白い壁が見えないありさまである。けれど、明日――今晩からはこの瞳は自分だけを映すものになるのだ。
「はぁ……死聖お兄ちゃん……」
誓いの指輪をなぞりながら、うっとりと、熱を帯びた吐息が唇から漏れた。
今宵、咲いた恋の花は実を結ぶのだ。
●
「11番のお客様」
声をかけられれば、死聖は車椅子をくるりと逆方向へと向けた。番号札を差し出せば、男性は薄青色の紙袋を彼に差し出した。
「お待たせいたしました。発注していただいた品物ですが、念のためお客様ご自身の目で確認をお願いします」
死聖が紙袋中から取り出したのは小さな箱。中にはミスリル銀でできた婚約指輪がある。デザインは死聖自らが手がけた、オリジナルのデザインだ。裏側には自分と由奈を示す「S」と「Y」のイニシャルが刻まれているのを確認すれば、満足そうに口角を上げたのちにこくりと頷いて紙袋に戻した。
「ありがとう、確認したよ」
「このたびはおめでとうございます。良き未来を築かれますよう心よりお祈りしております」
店員の言葉を背中に受けて、車椅子を動かし始める。今宵は素敵なものとなるだろう。これを手にした彼女の笑顔が目に浮かぶ。
「おかえりなさい! 夕飯できてるよ。死聖お兄ちゃん!」
リビングの机の上に乗ったスープ皿の方からはおおよそ元の料理名の識別はできず、不可思議な匂いが立ち上っているが、彼女の愛でできた食事はけして死聖を傷つけない。
スプーンを沈め、紫色のスープを口にすれば、うまみが味蕾を刺激する。彼女のギフトである『妹流愛情たっぷりの闇料理』は、由奈でなければ味わうことができない美味しさがあった。『ありがとう美味しいよ、由奈は料理上手だね』と感謝すれば、『妹』の由奈は両手を頬に当てて嬉しそうにする。
「お兄ちゃんの為にたくさん練習したから、嬉しい」
「うんうん、由奈は頑張り屋さんだよね。そういうところ、素敵だと思うよ」
スープらしきものは何だかわからないが、サラダは流石に素の有り様を残していた。彼女お手製の真っ青なドレッシングを掛けると、なにやらパチパチと音がする。口に含むと食感が楽しい。
次に手に取った白パンは流石に買ったものだが、ふかふかで美味しく、スープを拭いとるようにして食べる。少しはしたないが、可愛い『妹』が作ってくれたものはたとえ一滴でも無駄にしたくはなかった。
「じゃじゃーん! 見てみて! 頑張って作ったんだー。どうかな?」
「おお……ミルフィーユ、かな? 色とりどりだね」
この虹色に輝くミルフィーユらしき誕生日ケーキも彼女の手作りだ。本当はケーキ屋さんに行って購入も考えたのだが、由奈の誕生日に由奈の作るもの以外を食べないで欲しいというおねがいに、死聖は頷いた。なにせ、彼女の誕生日においてもっとも重大な日になるのだ。自分ができる範囲で『妹の最後のお願い』は、聞いてあげたかったのだ。
――そして時計が、0時を指した。
「誕生日おめでとう、由奈」
彼女に差し出すのは、婚約指輪。長い間待たせてしまった。けれど、その甲斐あってローレットの依頼報酬の貯蓄でもって立派なフルオーダーの婚約指輪を発注できた。差し出したハート型の小箱をそっと開き、申し出る。
――由奈が18になった時、僕は由奈を女性として見る、その誓いの指輪さ。 ……今は、これで許してくれるかい?
かつて渡したいつか恋人になるという約束の指輪とは違う、これは本物の『誓いの指輪(エンゲージリング)』だ。目を見開き、驚いた後、感極まって涙を一筋流しながら由奈はそっと左手を持ち上げる。死聖はその手を取ると恭しく薬指にそっと指輪を嵌めた後、由奈の薬指に嵌められた指輪に唇をそっと押し当てた。
「由奈。これからも一緒に生きていこう」
「もちろん。……そうするに決まってる。そして、……私の全ては、あの日助けてくれた死聖のものだから。この命も、この唇も、この身体も」
――だから、私の全てを全部貰って?
誕生日ケーキの蝋燭に灯る火が映し出したのは、2人が重なった影だった。その蝋が全て溶けきっても、煙が燻る室内で、彼らはお互いの愛を酌み交わす。
少女は今宵、『妹』という蛹を脱ぎ捨てて、『恋人』という名の蝶へと羽化をする。
愛に染め上げられた死聖で埋め尽くされたあの純白の壁のように、これからの彼女の日々は自他共に認める死聖に染められた日々へ変わるのだ。これからも。これまでも。
「愛してる」
最初にそう告げたのは、いったいどちらだっただろうか。けれど、2人が同じ感情を抱いているのは間違いようのない事実であった。
●
翌日。身体の気怠さとは裏腹に心は満たされていた。太陽は既に高い位置にあり、閉じたカーテンからは淡い光が漏れている。時計の短針は既に12という数字を指しており、いつも起床する時刻からは随分遅い時間だった。
死聖が身を起こすと、隣で毛布に蹲るようにして眠る可愛い『恋人』の姿が見えた。すうすうと寝息を立て、呼吸と共に上下する白い肩に広がっていた黒髪を撫でた後、そっと掬い取って口付けたあと、身を倒してその色づいた唇にもキスをする。すると、世界一可愛く愛おしい眠り姫が小さく呻き、とろりと眠気を含んだ瞳を死聖に向けた。
「おはよう、由奈」
「ふぁあ……おはよう、おに……ううん。……死聖」
唇を重ね、朝の挨拶を交わす。これからはこれが『当たり前』になるのだろう。けれど、後悔はしていない。通すべき筋は通し、やるべきことを成した上で交わした逢瀬なのだ。
――この愛は誰にも、阻害することは叶わない。