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イラスト詳細

シフォリィ・シリア・アルテロンドの田辺正彦による三周年記念SS

作者 田辺正彦
人物 シフォリィ・シリア・アルテロンド
イラスト種別 三周年記念SS(サイズアップ)
納品日 2020年11月15日

3  

イラストSS


 何時だって、痛みはこの身を苛み続ける。


「――――――」
 眼前に『大切な人』の墓を臨むシフォリィの表情に、感情は無い。
 停滞した面持ちに浮かびきれぬ感情は、去来する過去と共に胸中で今も渦巻いていた。
「総てを喪ってから、六年」
 軈て、浮かべた笑顔。
「お父様、お母様。
 私は、あの時より少しだけ、笑えるようになりました」
 その脳裏には、彼女と、両親との最後の会話が思い起こされていた。


 ――オチチウエトゴコンヤクシャサマハ、サイゴノシュンカンマデリッパニタタカッテオラレマシタ――

 遺髪と、僅かな装備を包んだ布を受け取り、シフォリィはその場から動くことが出来なかった。
 シフォリィ・シリア・アルテロンドはその当時十五歳。幻想に暮らす貴族の家で、五人兄妹の四女として生まれた、一人の少女だった。
 五歳の頃に母親を亡くし、片親で育てられた子供たちは、それでも愛情を一身に受けて成長した……して、いた。
「……それほどに、敵は強大だったのですか」
「ええ。我々は、魔種と言う存在を甘く見ていたと。そう言わざるを得ません」
 魔種。それが、シフォリィの父親と、婚約者が討伐に向かった相手。
 無辜なる混沌を破滅させんとする世界の敵に、しかし屹然と立ち向かった愛する人々の背中を、シフォリィは覚えていた。
 美しいと思った。気高いとも。
 しかし、それでも――
「……帰って、くるって」

 ――「必ず帰ってきます。貴方の瞳を、涙で濡らさないように」

「帰ってくるって、言ったじゃないですか……!」
 ――意志も、覚悟も、理想も。
 遺された者にとって、命が伴わなければ、只心を苛む逆棘に過ぎぬのだと、シフォリィは叫んで。
「……心中、お察しいたします。
 ですがご当主様が亡くなられた以上、『送られた』あとはすぐに家督を継いでいただかなくては」
「……分かって、います」
 嗚咽を必死にこらえて、シフォリィは自らの兄に視線を向ける。
 リシャール・リオネル・アルテロンドは、これに対して涙を浮かべることは無かった。
 ただ、父の遺品に瞑目して頭を垂れた彼は、シフォリィに視線を向けてこう言ったのだ。
「アルテロンド家は、これから数年の長い間、苦難に見舞われることとなるだろう。
 それでも――お前は、私の力になってくれるか」
「……はい。遺された思いを、この家を、守り続けていくために」
 他家に嫁いだ殆どの妹たちに比べ、シフォリィはそうした庇護を持たず、年齢も若い。
 それでも、善き兄の支えにならんとする彼女は、決意を込めた表情でその言葉にうなずいた。



 嗚呼、けれど。
 その意思を、邪に利用しようとするものが身近にいたなどとは、誰が思おうか。


 呼吸は荒い。
 痛む身体と胸元を押さえて、一人の少女が娼館から逃げ出した。
「シフォリィ! シフォリィ!
 逃げるんじゃない、お前はまだまだ稼いでもらわなくちゃならないんだ!」
 ――娼婦は、シフォリィは、声と共に追い縋る娼館の従業員達から、必死に逃げ出していた。

 兄が家督を継いでから、然程の時は経たなかった。
 家は没落した。父が死んだあの時を境にまるで狙っていたかのように、領内の不作や商人達が供給する商品の値上がりが続き、領民の不満が頻出したのだ。
 これに対し、シフォリィの兄の手腕は確かなものであった。
 維持しきれないと考えた領地と、貴族としての地位を王に返上した後、残った資産を領民に分配することで領地を巻き込んだ破滅を避けたのである。
 結果として貴族としての地位を追われることにはなったものの、アルテロンド家は少なくとも家財と命だけは存えることに成功したのだ。
 それでも、リシャールは。シフォリィの兄は全てを諦めてはいなかった。
 いつか、家の再興を願って。商売や他家との交渉に尽力する彼へと、シフォリィは力に成るべく、嘗ての婚約者の家から齎された誘いを受けることにしたのだ。
「お兄さんのため、貴女の家のために、私達から紹介したい仕事がある」と。
 ――それが、さらなる悲劇の始まり。
 元より見目麗しかった彼女を狙うものは少なくなかった。それが、例え大金を支払うものであっても。
 嘗ての婚約者の家はシフォリィを騙し、人買いに売った。その後に彼女は娼館に買い取られて、凡そ三か月ほどの間、客を取らされ続けていたのだ。
 けれど、それだけならば。
 それだけならば、彼女は苦渋を啜ってでも、大切なもののために耐え続けることが出来たかもしれない。けれど。
「……送金先は、いつも通りに?」
「ああ。あの女衒と、持ち込んだお貴族様にだ。馬鹿な女だよ。自分の家に入る金と信じて、今も騙され続けてる」
 その日、偶然聞いた娼館の主人の会話に、彼女の心は限界を迎えたのだ。

 信じることが過ちだったのか。
 愛した人の言葉は離別とともに消え、信頼する人の言葉は金で売り払われてしまった。
「何で……何で!」
 裸足で走り続けた彼女の足元は、既に血に塗れている。
 客引き用の薄衣だけを纏った彼女を追い続けた男達は、そうして遂に彼女を捕らえた。
「……余計な真似をするなよ。こっちとしても、大事な商品を『傷物』にしたくはねえ」
「ああ、それでも『キズモノ』にするくらいは良いんじゃねえか? いつもやってる事だろうよ」
「黙ってろ」
 その腕を掴む男は、もう一人の野卑た男に舌打ちと共に言葉を返す。
 シフォリィの瞳は揺れている。それは不安でもなければ、恐怖でもない。
「何で……ですか」
「何?」
「私は、ただ。
 お兄様を、私の家を護りたくて、なのに……」
 単純な、絶望。
 暗く、澱んだ瞳から涙を零し、追っ手の男を見るシフォリィに、男はそれを正面から見据えて、答えた。
「信じたからだ」
「………………」
「理解することを恐れた、或いは理解する気が無かった。
 だから信じるしか無かった。そうなれば後は騙されるだけだ――この幻想では」
「………………」
 言葉を聞いて、彼女が思い出したのは、母の顔。
 永い眠りにつく前、あの人は最後にこう言ったのだ。

『貴女が信じたい物を、後悔しないように信じなさい』。

「……お母様」
 ごめんなさいと、シフォリィは胸中で呟く。
 許してください、私の選択は、後悔してばかりでした。そう言って。
「っ、お前――!」
 せめて、これ以上の絶望を味わうよりは。
 そう願って、彼女は強く舌を噛む。
 ……噛もうと、した。
 その刹那。光が、シフォリィを包むまでは。
「………………え?」
 叫ぶ男の姿も、娼館の光を孕む夜闇も、その瞬間全てが消えて。
 やがて見えたのは、人が『空中庭園』と呼ぶ場所。
 それこそが、
 シフォリィ・シリア・アルテロンドが、特異運命座標として、新たな生を得る瞬間のことであった。


「私は、愚かでした」
 自らの半生を父母の墓に伝えるシフォリィは、そう言って薄く笑う。
 あの頃、悲嘆にくれた無力な少女のものではなく。
 あの頃、絶望するだけの哀れな娼婦のものでもなく。
 ただ、自らの希望のために生きる、一人の特異運命座標としての、優しい微笑みで。
「それでも、何故でしょうね。
 私は今も、誰かを信じることをやめられない。例え愚かといわれようとも」
 言葉は自嘲。けれど、込めた意思は毅然としたひとかどの戦士のそれ。
 きっと、これからも。
 シフォリィは思う。多くの人に騙されて、多くの人に裏切られて。信じる度、彼女は傷を負うかもしれないと。
 そうして彼女は、自らの選択を悔いるかもしれない。
 だから。そう彼女は言って。
「どうか、見守っていて下さい。
 私が後悔しないように、怯懦な自分に、打ちのめされないように」
 その言葉を最後に、彼女は墓に背を向ける。
 振り返る時間を終えた彼女が、そうして前を向く――その瞬間。

 ――頑張りなさい。

 背後より掛けられた言葉に、シフォリィは一瞬、足を止めて。
「……はい!」
 そして、振り返ることなく、また歩き出す。
 幾多の痛みを味わい、乗り越え、そして、彼女は今も前を向く。
 嘗て、大切な人に与えられた言葉。
 それを、今の自分の信念に変えて。

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