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イラスト詳細

ニエル・ラピュリゼルの一周年記念SS

作者 祈雨
人物 ニエル・ラピュリゼル
イラスト種別 一周年記念SS
納品日 2018年09月17日

4  

イラストSS

 ニエル・ラピュリゼルは夢を見る。
 沸き立つ「深淵」に大地は呑まれ、空に逃げるしか道がなかったあの世界の事を。
 崩れゆく街に伸ばされる救いの手など存在しなかったあの世界の事を。
 滅びの足音はすぐそこまで迫っていた。
 これは、ニエルのいた世界だ。
 下卑た笑い声は己が生きる為に暴虐を是とする賊のもの。
 滅びを肯定し、高らかに運命を受け入れよと宣う声は狂信者のもの。
 世界は怒号と悲哀で満ち溢れていた。
 「深淵」から逃げるように空へと免れた世界で、かつてニエルは為すすべもなく「深淵」を見下ろした。
 闇は未だ世界を喰らい、ことごとくを無に還していく。
 ついと視線を逸らせば、荒れた賊が弱き者から物資を取り立てる姿が見下ろせる。
 暴虐の限りを尽くし、こんな世界で必死に命を繋ぐために他者を犠牲にしている賊は、見える範囲に限らず世界に蔓延 っていた。
 今や取り締まる組織も機能していない。あるいは、彼らもまた、生きるのに必死で見ぬふりでもしているのだろうか。
 介入しようとは思わない。ニエルがあの場に乱入した所で事態は変わらず、悪化の一途をたどるだけだと理解している。搾取される側に自ら身を投じる事はし難かった。
 弱者が悲鳴を上げ、賊は嗤い、銭と食料を根こそぎ奪っては蹴り捨てる。
 もはや日常だった。
 呑まれゆく街の一角では、喚き散らす狂信者の姿も見える。
 こちらはこちらで相当頭にキているのだろう。
 「深淵」こそが真であり、滅びこそが救いであると人目憚らず叫び暴れる。共感しない者がいれば攻撃し、一方的な論争で心を痛めつける。
 彼らは、「深淵」こそが自分たちを 救ってくれると信じてやまないのだろう。
 「深淵」に呑まれた結果がどうなるのか、今空で生きている者たちにはわかりようがない。
 呑まれて、終わる。それだけが事実として目の前に広がっていた。
 呑まれた都市が再び浮上することもなく、呑まれた生物が再び生を謳歌することもない。
 漠然とした事実だけが真実であり、それ以外を知る術は持ち合わせていなかった。
 そこに救いを見出す彼らは、まさしく狂ってしまっていた。
 自らに正義の理由を見つけた彼らは、滅びを恐れる人々を拘束し、救いを与えるという名目の元、「深淵」へと突き出した。
 正しい行いなのだ、彼らにとっては。
 世界は混沌に満ちている。今や昔の姿など見る影もなくなっていた。

 いま 、ニエルは浮遊するバイクの上で必死に意識を繋いでいた。
 覚束ない意識のまま、頭に響く相方の声が遠く聞こえる。距離感など掴みようがない。
 誰かを救うために巨大なバケモノへと投げ出した身体は悲鳴をあげ、四肢を動かす事すらままならないのだ。走る痛みは一体いつから続いているのだろうか。
 バイクが揺れる度に、声が聞こえる度に、鈍痛が意識を苛んで止まない。
 意識をよそへと向けようと思考を飛ばすも、直ぐに激痛が現実へとニエルを引き摺りこんだ。
「ニエル」
 はっきりと聞こえた声に反応して、ニエルは辛うじて目を開ける。
 そうして、ニエルはそれを見た。
 薄らと開けた瞼の奥に見えたのは、世界の終わりだった。
 「深淵」が全てを呑みこんでい く。
 空に逃げた人々を追って、闇が貪欲に喰らわんとせり上がっていく。
 膨れ上がる「深淵」にとって、我々も糧のひとつでしかないのだろう。大地だから、人だから、なんていうものは関係ない。全てがただの糧だ。
 何かを叫ぶ相方の声が、一瞬途絶えた。見たのだ、終焉を。
 そうして出た言葉は打って変わって、怨嗟に満ちた低い声へと変貌した。
 怒り散らしたところで変わる筈もない怨嗟の声を、「深淵」へと吐き散らした。
 「深淵」を呪う言葉だ。運命を呪う言葉だ。そして、無力な自身を呪う言葉だ。
 朦朧とした意識の中で聞こえる声が、かつて聞いた声に被さり消し去っていく。共に過ごした思い出も、語り合った過去も、何もかもを塗り潰していく。
 こんなこ とを言うような人だっただろうか。かつて過ごした時間が信じがたいものに変わっていく予感に、ニエルもまた無力さに打ちひしがれた。
 黒の手が伸び、「深淵」がすぐそこまで迫っていた。
 彼女のように声に出して恨みつらみを告げる気力は残っていない。ただただ、迫りくる「深淵」が視界の凡そを占める事実を目の前にして動けずにいた。
 そうして、唐突に、発破音が響いた。
 いや、それは破裂したような音ではあったが、伴う風圧や裂傷は存在していない。
 ただ、ばちりと、何かが弾けた。


 ――空白だ。


 全ての音が消失し、全ての熱が消失し、全てのにおいが消失し、全ての光が消失した。
 虚無だ。
 訪れたのは、空虚だ。
 自身の存在すらも揺ら ぐ空虚の中で、ニエルは悟った。
 今や全てが失われたのだと。
 ニエルが持っていた記憶も、意識も、イメージも、全て失われたのだと。
 今ここにあるのは残りカスだ。食い散らかした「深淵」が僅か残した屑でしかない。今にこれも消えるのだろう。
 直前まで聞こえていた声が思い出せない。イメージ出来ていた彼女の姿が分からない。
 そもそも、そんな人間がいたのかすら曖昧だ。本当に存在したのか自信を持てなくなってくる。
 全てが「深淵」に還り、自身もまた「深淵」に還る。
 何もない。
 何もなくなるのだ。
 何も……。

 熱が触れる。
 虚無の世界に、存在しない何かが触れる。
 まさかこんなことが有りうる筈がと 思考を走らせるニエルは、とある事に気付いた。
 黒に塗りつぶされた世界に光が差し、ニエルは夢を見ていたのだと自覚した。
 これは夢だ。
 これは過去だ。
 そうでなければ、あらゆる事象に説明がつかない。あの時、ニエルもまた「深淵」に囚われ全てを失ったはずなのだから。
 思考する事も、予測する事も、何も出来る筈がない。
 目を覚ます。熱の正体を視界に収め、霞かかった世界が晴れ往くのを待った。
 清々しいとまでは形容できないが、平時と変わらず普遍的な朝を迎える。
 眼前にいるのはNerr・M・März――住み込み見習い兼患者の人間だ。熱の正体はこれで間違いないだろう。
 目を覚ましたニエルに気付いたNerrは、ニエルの上に馬乗りになったまま、ひどく取 り乱した様子だった。
 何を企んでいたのやら。
 言い訳をしているNerrを退けて朝食にする。言葉に耳を貸す必要もない。
 食卓とも言い難いテーブルに鎮座するのはゲル状栄養食だ。いつもの食事であり、見慣れた光景。
 Nerrがなにやら差し出してきたが、ニエルの興味には刺さらない。聞こえる声を聞き流し、ニエルは夢に見た過去を思う。
 これは、ニエルが背負うべき罪だ。課せられた使命だ。
 全てを呑みこんでしまいそうな「深淵」は、あの世界だけに留まらないかった。
 今日も、連れてきてしまった「深淵」を研究せねばなるまい。
 あれは、――世界を滅ぼす災厄であったのだから。

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