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イラスト詳細

ジェームズ・バーンド・ワイズマンの一周年記念SS

作者 赤白みどり
人物 ジェームズ・バーンド・ワイズマン
イラスト種別 一周年記念SS
納品日 2018年09月17日

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イラストSS

 薄暗い書斎で紳士が、ロッキングチェアにもたれかかりくつろいでいる。
 数々の品物がぼんやりとした明かりに照らされ、壁に並んでいるのが見える。ほら、こちらには練達でなくては手に入らないような顕微鏡が。そら、あちらには淡く光る鉱石標本が。並んでいる本は、背表紙からして魔導書だろうか。科学と神秘の入り混じった。整列なれど混沌とした部屋、その主は分厚い報告書へ目を通している。部屋に灯りはないのに関わらず。
 灯りは必要ない。灯りのもとは紳士その人だから。部屋の主たる紳士は炎が人の姿へ成った者。内側で燃える炎は全身に広がっており、頭部ではガス灯のように炎が揺らめいている。その頭部をガラス製の保護器具で覆った男。保護器具がなければしゃべることもできない。脆弱で、そして強き血潮を持った紳士、それが彼だ。
 元の体に戻りたくはあるが、せっかくならば今の姿でどこまでいけるかも追求したい。学者らしい好奇心が彼を突き動かしている。紳士は報告書を最後まで読み終えると、また最初から開き、長く吐息をこぼした。
『いやはや、この世界に来てもう一年が過ぎたのか。この頭部が、異世界においても珍しいのは残念だったなぁ。この世界ならば似た者同士が見つかるかと思ったが、そう簡単にはいかないようだね。しかしまあ出会いは縁であるから、そのうちきっといいことが見つかるさ。待てば海路の日和ありと言うしね』
 そう独白すると紳士はスコーンのかけらを手にとり、クロテッドクリームをたっぷり載せて口元へ運んだ。保護ケースの隙間からお菓子を入れると、いかなるふしぎか、スコーンは焦げもせず燃えもせず、炎へ溶けるように消え失せた。代わりに彼の顔面でひととき炎が黄色に変わる。それは喜びを意味する色だ。
 今の体で不便な点がふたつある。ひとつはガラスの保護器具がなければ致命的であること。それは炎が消えれば、彼の死を意味するからだ。もうひとつは燃え続けるために大量のカロリーを消費すること。そのためには常に何かしら口にしていなければならないのだが、これについてはそう悪くもないと彼は思っている。この体になって改めて食の楽しみを知ったからだ。食べれば食べるほど行動時間が伸びるのだし、これが一石二鳥というやつか。などと思っていたりする。
 紳士は膝に載せた報告書の山をぽんと叩き、その表紙を愛しげに撫でた。
『懸念していたカロリー摂取は…ゲテモノ食やゴブリン料理があったけれど、大体美味しくて良かった良かった。食い溜めが出来るという点はこの身体も、生命維持の観点からは便利だと言わざるを得ないね』
 この世界へやってきてちょうど一年。さまざまな依頼へ彼は挑戦してきた。中には無人島へ放り出され命の危険を感じたものもあった。彼にとって一番怖いのは人間より自然の驚異かもしれないと感じさせられた出来事だった。顔面に存在するのは命の炎。それを燃やし続けるのは食料であり、ひいてはそれを作り出す文明なのだから。そして同じ食べるならやっぱりおいしいほうがいいよね、と、彼はスコーンのかけらにこんどはベリージャムをつけて食した。野生ではただの鳥の餌でしかないベリーを砂糖とともに煮込み、ジャムにしていく過程を文明と言わずなんというのか。水を沸かすのだって素手では出来ない。木切れを集め、炎を制御し、鍋の力を借りなければできないことなのだ。その鍋だって素人が作ろうとしても難しいだろう。火をおこすのだってそうだ。ようするに彼という存在は文明なくして生きることが出来ないのだ。かつて行き過ぎた科学者であった自分が炎の化身に成ったのはある意味”禁忌”から送られた皮肉なのかもしれない。
 この身に変わってしばらく経つが、いまだに鏡に映るのは慣れない。自分の顔は忌まわしき炎のそれだから。ノルニルの瞳に惑わされ元の世界に帰れても、ただただ絶望が待っているだけだった。けれども、もはやあれほどに取り乱すことはないだろう。いくつもの経験が紳士をさらに紳士たらしめていた。もう我を忘れるようなことは、きっと、ない。スコーンの残りを取り上げ、口へ入れる。咀嚼はできないが、そのやわらかな甘味と心地よい噛みごたえの感覚だけは得ることができる。紳士は今度はティーカップを手に取った。空のティーカップを。白磁の表面がさらされ、紳士その人の照り返しを受けて、カップは美しくきらめく。
『魔法の夜…あぁ…あの三日間を体験した事だけでも、私は混沌に来て良かった!! あの紅茶の香り……今年の“夜”が楽しみだ。あの魔法を解析していけばいつか、私は顔を取り戻すことができるかもしれない……!』
 シルクハットをかぶり、炎の精を腕に止まらせ、夜の街を闊歩した思い出が彼の胸を焦がす。そこでは彼は堂々と、典雅に、優雅に、歩くことが出来た。かつての自分の顔そのままに。夜風を受け、口と鼻で呼吸をし、己が目で景色を見た。あの興奮はいまだ冷めやらず、待ち遠しさが日々募っていく。次はどんな格好になろうか。せっかく元の姿に戻れるのだ。おしゃれも楽しみたい所。シルクハットにインバネスコートの組み合わせも奥ゆかしいが、自慢のスーツ姿も捨てがたい。
 魔法の3日を楽しむためにも、彼には乗り越えなければならない障壁がある。ローレットに属する者として、避けては通れぬ不倶戴天の敵がいるのだ。
『最近では…魔種との対決。あれはとても良い経験だった! 魔種へと変貌するその過程…何か得る物があれば良いのだが…。ただの人間が、おっと正しくは純種と呼ぶのだったな、魔種化の条件をもっと突きつめていけば、魔種変貌を未然に防ぐことができるようになるかもしれない』
 先日のサーカス、かの幻想楽団『シルク・ド・マントゥール』との決戦は血湧き肉躍るものだった。彼が相手取った魔種は『スピットファイア』ティム・ザ・ブロウマン。同じ戦場には『タイニーバブル』クイン・マチュア、『ビーストリアルム』フラップト。3体もの魔種が居る地獄と呼ぶしか無い戦場下で、紳士は炎に包まれたティムへどこか親近感を抱いていた。それは友情へと至る爽やかなものではなく、自嘲を交えた苦いものであったが。魔種として顕現したティムの姿が炎に包まれた大男であるならば、炎の集合体として顕現している己との共通点も多かろう。戦場でしか接点がなかったのは残念だったが、彼のような存在がフーリッシュ・ケイオスにもあるならば、いつか自分が求める謎が解き明かされる日も来るだろう。先の見えない混沌の世界だが、彼にしてみれば明るい話題には事欠かない。
『やはりこの世界に…パンドラの箱が開け放たれたこの混沌に、私にとっての希望はある! 海洋天義傭兵そして、練達。これからの研究が楽しみだよ』
 喜びと希望、そしてほんの少しの野心。一年を振り返ったジェームズは、確かにそこへ自分の軌跡を見出した。ときに嘆きもあった。悲しみもあった。だが、と紳士は初仕事を思い出す。貴族の統治下から離れ、自給自足で暮らす人々の村のこと。そこを襲うゴブリンのことを。ゴブリンの死体を見聞したがっていたあの時から彼は何も変わらない。
『いつの日か……きっと顔を取り戻そう。それが見果てぬ私の夢だ。さあ明日からもまた目まぐるしい一日が始まる。楽しみだ……』
 紳士は満足げにうなずき、ロッキングチェアを揺らす。壁に写った己の姿も歌うようにゆらゆらと揺れた。

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